2022年 明けましておめでとうございます。

新春のお喜びを申し上げます。
昨年は多くの方に支えられ、励まされた1年でした。

調査業の日常は風がいつも吹いている。

いきなりの突風でこちらも倒れそうになる場合や、皆目、何も見えない豪雨の中で情報を集めることも多く、一体どうなることやらと頭を抱えていても、吹きすさんでいた風はいつか必ず止み、視界が広がって徐々に陽が射し、ようやく腰を据えて歩くことができるようになるとでもいうのでしょうか。

調査業の相談員と依頼人との関係は優しいだけでは解決出来ない、時には厳しい意見を依頼人とやり取りすることも多く、人様の人生の一大事はどれだけ経験をこなしても毎回同じパターンなどなく、頭と心を働かせつつ、それでもやはりマインドはいつも依頼人の心に寄り添っています。

そんな日常を過ごせることは有難いことに、信頼できるスタッフがいるからこそ、風を受けることなど苦も無くいられるのでしょう。いつも感謝しています。

今年はどんな風が吹いてくるのでしょうか。
多くの方との出会いを楽しみにしています。

2021年 ありがとうございました。

深夜、窓を開けると一面の銀世界になっていた。

雪が降っているというだけでロマンティックに気分になったのは遠い昔の話。
この寒風吹きすさぶ中、調査員はどうやって暖を取っているのか、張込みも長くなると周囲の視線も厳しくなる時代で実際の探偵の世界は思った以上に過酷な世界であると今更ながら思う。

だが人間はその環境に慣れると苦も無く過ごせるように知恵を働かせるのは、その仕事を全うしたいからに尽きる。
相談員の仕事も基本的には24時間対応、いつ相談が入るか読めないが、身体に染み付いた探偵道と言えば聞こえはいいが、ひとたび電話を受けると瞬時に相談モードにどんな状況であっても聞けるのである。

そして、この仕事を通して見ている世界はほんの少し垣間見ているだけの世界であって、そこに愛憎や裏切り、苦しみがあったとしても、人は誰かのために無償に生きている人たちもいることを知っておかなければならない。

人生は自分が想像していたものとは大きく違っていて、はるか先に灯かりは見えても、そこにたどり着くには時間がかかりすぎて、ある人は絶望し、その無償の愛に気づかず、ただならぬ道へ暴走してしまうのだろうか。

今年も様々な場所で出会った方々から調査業というよくわからない世界にいる者に信頼を下さりたくさんのご縁を繋いでくださったことに心から感謝を申し上げます。

来年は愛する我が街、天神橋筋商店街で心置きなく、乾杯の時間があることを願っています。
今年も数日となりましたが探偵社らしく365日24時間稼働中です。

来年も変わりなくお付き合いくださいませ。




別居話

いつからだろう。夫が帰ってこなくなったのは。

いつからだろう。夫が家でごはんを食べなくなったのは。

いつからだろう。妻の帰りが遅くなったのは。

その違和感が少しずつ小さなほころびとなって徐々に広がっていていく。それはいつのまにか大きな穴になっていても日常の生活に追われ、その穴をみてもなぜこうなってしまったのか思いだせないのである。

好きな人がいる。

新しい人生を踏み出したい。

なので離婚してほしい。

不倫については何故か自ら告白する夫や妻もいて、突然の告白に受け入れるのに時間がかかり、ならば深く話を聞こうとすると、時がたつにつれ、その告白は気の迷いであり、或いはこれ以上はもう語りたくないと、自由を謳歌するようにもなり別居の話も進み、混乱するのである。

たかだか浮気ぐらいでと経験のない人は軽んじるだろうが、心が離れ、疎ましく思われ、心ここにあらずの暮らしは生活の歯車の全てが狂いだしていく。

かれこれ25年近く、調査業の世界にいると様々な人間模様、表の顔、裏の顔。感情の複雑さに翻弄されるが、それはある日突然、どんな人にもやってくるかもしれないもので、事実、自分自身、永遠に妻でいると思っていたが25年前に離婚し、今がある。

調査はネガティブに捉えてしまいがちだが、必要な人には想像ではない真実を確認して、さらに自分を見つめなおす時間をくれるものだと思っている。

その後の依頼人の姿は想像を超えた人生を始めた人も多く、自分自身がそうであったように人生の正念場を超えられたこそ、混乱し迷走する依頼人に寄り添えるのだと思いたい。

瀬戸内寂聴

趣味で御朱印めぐりをしている数年前だろうか。

散策していて「寂庵」が近隣にあることに気がつき、きっと予約でもしないともらえないだろうと思いつつノックをしたら、家人が出て、どうぞと室内に案内してくれた。客人は私一人、秋の風の舞うそんな昼下がりだったような気がする。

そこは居住まいの全てが良い気風が流れていた。

全国からやってくる人生の迷い人達にここで講和を開き、心をふるわせ、泣かせ、笑わせていたのだろうかと私はぽつねんとしばし、そこにいた。

室内では寂聴はここには本日はいませんがと、心のこもった対応で、家人は私が世迷い人かと思われたのかもしれないが、思いのほか私の元気な風体を見て、安心しましたかのような表情を見せたことに職業柄、私は気がついた。

悩んでいる人を見て、どこまでの深さで悩んでいるのか、待ったなしなのか、そう見えるがいたって問題ない場合と悩みの深さは計算できないもので、そう見えたはずなのに命を絶ってしまう人もいるからだ。

ついこの間まで、好物の肉を食べ、書斎には数年先までオファーが絶えなかった原稿の山と格闘し、若いアシスタントにインスタでいじられ、100歳になろうかというときに亡くなったとニュースで知る。

寂聴の悩める人への求心力は年齢だけではない自分自身人生において大きな過ちがあったからに尽きる。また時同じくして、細木数子の死去のニュースも流れた。対局にあるような女性だが、どちらも力強く、人生につまずき、傷ついた人への叱咤激励の情報発信をし続けた唯一無二の女性だったのかもしれない。

今、テレビで激しい意見を言おうものならば攻撃される時代になってしまったが、二人の死はテレビの良き時代の終焉と共に終えたのだろうが救われた人も多くいて、今後の寂庵はどうなるのだろうと秋の風に舞いながら思う。

天神橋筋商店街22

通勤途中、車窓から一瞬であったが工場の前で何かの記念撮影をしていた。


数十名の人たちが撮影する瞬間だけ皆マスクを外し肩を組み、満面の笑顔でピースサインをしていた。偶然見た数十秒の中にこの会社の物語が何かあるように思ったりするが、この流れゆく車窓から見る風景はたただの一瞬でしかなく校庭を疾走する子供達が全員マスクをしている姿はいつみても複雑な心境になる。

とはいうものの、確実に去年とは違う状況になりつつあって、有難いことにこんなご時世であっても多くのご縁を頂戴し、何とかこの苦境も乗り越えられて、楽しいお誘いも増えつつある今日この頃である。

調査業も昼夜問わず走り回っていた時代から、自分時間がようやく持てるような現在となっても、何も変わらない仕事との向きあいもある。日常はルーティンの繰り返しで、その繰り返しの中で小さな傷に気が付く人は大きな傷にはならないのだろうと。

今、事務所の窓からの風景はいつもと変わらぬ風景が見える。
天神橋筋商店街は賑わいを取り戻しいつもの活気にあふれている。

秋の気配は一気にやってきたようです。
冷たい風が吹いているようだが、きっとそれは良い風なのだと思いたい。

2021年 謹賀新年 

新年明けましておめでとうございます。
旧年中お世話になった方々ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

今年は静かな一年が始まったような気がします。
自粛ムードが高まるせいか、出かけようにも、何をしようにも、すんなりとはいかず楽しい気分がそがれてしまう。

 

家の近所の神社でみくじを引かせていただいた。

 

「吹く風に沖延の波の高けれど心静けき我港かな」

 

いつも、神の教とかかれた、みくじの言葉使いの美しさに魅了される私である。

 

これまでの幸福があるのは生き様で知り合えた人たちに支えられたもの。自分も人も慈しみ世のために尽くせば、嵐がどれだけ吹き荒れても大丈夫との見立てらしい。

 

職業柄、全てのお受けする内容が争いごとなので、苦しい時の神頼みではないが年令と共に神ごとに興味を持つようになり、みくじの欄も「争事」に一番に目が行くが、騒がずとも自ずと勝つとあり心落ち着く。

 

なぜなら、調査業は時に神がかってるような運気に包まれることがあり、説明のつかない奇妙なことも多く、打ちのめされた人が焔立つ感情を持ちながら渾身の思いで頼むので、お受けする仕事もそこかしこに蠢く何かがあるのかもしれない。

 

まだまだ人間力の足りない私は今年も多くのことを試されているようです。
それでも、多くの中から選ばれし弊社のノックをされたのであれば心を鼓舞しながらどのような状況であろうと奮起したいと思います。

 

苦しみがあるからこそ幸福を強く願い求め続けますが、苦しみあがいている人の強さも誰よりも知っています。みくじに書かれているように願うばかりではなく、そこには日々の努力と研磨をし続けなければなりません。

 

今年ほど関わる方の健康を願うこと然りです。
重ねて本年のどうかよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

2020年 ありがとうございました。

今年もあと数日で終えようとしています。

かつての依頼人の方々はブログをチェックしていただいているようで、更新しなくなると私に何かあったのではないかと心配して下さいますが、どうか心配ご無用、何も変わりなく元気にやっています。

 

こうして、会えなくても今の現況をお伝えできることは有難いものの、やはり人との繋がりは実際にお会いして、美味しいものでも食べながら、大きな声で笑いあって、時には抱きしめあって気持ちをふれあいたくなります。

 

この不遜な空気を一掃してくれるように思え、事務所を出て直ぐの天神橋筋商店街に入ると、密はいけないのだと思いつつ、多くの人たちが行き交う姿を見て安心する。

 

天神橋筋商店街は歳末ムードで、久しぶりに見る店主のにこやかな姿、誰かのために年末の準備をする姿は楽しげで、つい天満市場あたりまで様子を見に行きたくなってしまいます。

 

目に見えない境界線の世界にいると、マスクだけではない息苦しさを感じながら暮らしていますが、かつてのような楽しめる時間はいつになったら来るのだろうと。

 

全ての職業に打撃を与えていますが、調査業もやはり影響は大きく、案件が立ち消え、人が動かないということは調査もスタンバイとなって、ただでさえ神経をすり減らしながら暮らしている依頼人は辛い時間の中にいます。

 

ただ、それでも浮気調査は途切れることなくあり、コロナ禍においても対象人物は不貞の相手と接触し、街に出て飲食を楽しみ、これまでと何ら変わりない時間を過ごしています。

 

どんな状況であったとしても、むしろこんな状況であるからこそ逢瀬がしたくなるのもので、ある日突然に人生の瀬戸際に追い詰められ、解決しなければならなくなった人たちも多くいるのです。

 

不信に思い、それを確かめること。
深い事情があって誰かを探したいこと。
24時間、心をざわつかせる苦しいお悩みの一助となれば幸いです。

 

お世話になった方々、ご縁を下さった方。
弊社のドアをノックしてくださった方々、感謝申し上げます。

 

皆様、どうか良いお年をお迎えください。
ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祝杯の時間

事務所の向かいの公園から元気な子供たちの声が聞こえるようになり、天神橋筋商店街も活気が戻りつつある中、またもや時短営業となって本来の景気回復は行きつ戻りつの日々である。

 

これまでの依頼人の幾人かが地方に転居し、遠く南の島へと移住した人もいて、この関西の状況を心配してくれるが、もはや世界レベルに到達している現在、新型コロナは今後の日本経済をどこまで揺らし続けるのだろうか。

 

調査業への影響はどうかと聞かれたら、様々な業界の経済事情と繋がっているせいか、時代を映す鏡のようで今後大きく調査の内容が変化して行くかもしれない。

 

ただ、内容は変われど人生は小さなほころびから災いが起きる。
その
ほころびは小さなうちに修復しておかないことには徐々にその穴は知らぬ間に大きく広がり、災いの火種は大火となって行く。

 

どんな時代もまやかしのマネー、得たいの知れない人物が蠢いているが、そんな苦境の中にいる依頼人に関わらせていただく者として、毎回一筋縄ではいかない案件に頭を悩ませる。

 

依頼人からようやく離婚が成立しましたと連絡が入る。
経緯を知る者としてどれだけ辛い時間の中にいたのかと、その数行に心を奪われ、ならば祝杯を挙げようと返事をしたものの、今年ではなく来年にしようと提案する。

 

また、古くからの友人がたった一人でやってきた飲食店をたたみ、新たな仕事が決まったと聞けばそれだけで涙がこぼれそうになり、誰もが人生の岐路に立っていることを思う1年だったのかもしれない。

 

しばらくネガティブな環境の中にいると必要以上に楽しい時間が必要で、映画を見たり音楽を楽しんだり、ひとり旅に出ることもけして嫌いではないが、でもやはり傍らには一緒に笑ってくれる人がいると尚いっそう楽しい。

 

孤独は魔の時間で人を迷わせ、狂わせ、あらぬ方向にも行かせてしまうことがあるが、その孤独を耐え忍び、闘った人には共に分かち合える人と必ず出会い祝杯の時間が待っていることをお伝えしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

「You Are」 

最近、毎日聴いている曲がある。

渦中、暇だったのでYouTubeをよく見ていた。
若い頃、よく聴いていた80年代ブラックミュージックの頂点いたライオネル・リッチーの動画を発見する。

 

それは80年代当時大ヒットした「You Are」の曲である。

あの名曲がなんと若きカントリースター歌手とデュエットされ、アルバムに過去の作品がカントリーテイストで全て構成され、ブラックコンテンポラリーがカントリーの大御所たちとコラボされ絶妙に味付けされたかっこいいい仕上がりになっていたのだった。

 

アメリカの音楽シーンの多くはアメリカの演歌とも言われるカントリーで支えられているらしく、あの広大な台地にはカントリーミュージックが自然に思えるがブッラクミュージックの大スターであった彼はその変化に躊躇はなかったのだろうか。

 

何より、この曲の動画は、アラバマのスタジオ風景が素晴らしく、ライオネルがスタッフに敬意を表し、若手とグルーヴを楽しみ、音楽はひとりで作られるものではない、一流アーティストを影で支える最高のスタッフ、一流アレンジャーたちの姿があってこそで、そんなスタッフたちの音楽を楽しむ姿に焦点が当てられ、生き生きと映されている。

 

この必要とあればこれまでの自分のスタイルを変えること、他者を尊重すること、仕事を愛すること、人生を楽しむこと、信頼できる仲間と分かち合うこと、新しいことに挑戦すること。たくさんメッセージされた作品のように思えてくる。

 

また、ライオネルは70を過ぎているが、若い頃とほとんど変化のない体型を維持しており、声量も以前と何ら変わりないのである。

 

今、私はライオネルの体型維持に大いに反応し己を反省し、肉体改造のトレーニングに通っている。いきつけの喫茶店のマスターがそっと添えてくれるお菓子も辞退し、信じてもらえそうもないが今回は遂行させたい。

 

弊社も今後をふまえ新しい息吹を求めています。
現在、若き調査員募集中です。
ご興味のある方ご連絡くださいね。

 

夜の楽しいお食事会もしばらくお休みしていますが、変わらぬお付き合いができることを願って、今宵も筋トレに励み、この停滞している時間をいかに有意義に使うか模索しています。

 

なので食の宝庫とも言われる天神橋筋商店街の帰宅中、知らぬ間に美味しいお店を探している私がいることもお伝えしておきたい。

 

 

天神橋筋商店街21

自宅から駅までの道のりは立ち漕ぎでは登れない急勾配の坂がある。
突風が吹き荒れる朝、その坂の途中にマスクが落ちていた。

 

それは着けたばかりの新品であろうマスクに違いなく、落とした人はきっと駅からこちらを向かう下り坂で突風に吹かれ飛ばされたのだろうと推察する。

 

気をめぐらせば駅や街中でも捨て置かれたマスクをよく見かけるようになった。
これからの時代はハンカチを持つようにマスクが必要なのだと誰かが言ったが、気の抜けない日々を送っている。

 

あらゆる職業に多大な影響を投げかけている新型コロナであるが、調査業も人が動かないことでは調査も行えず影響は大である。

 

また、コロナ離婚が増えたともあるが、メディアが勝手につけているだけでそもそも離婚は急展開にはならないので、現実から逃げていたのが、一緒にいる時間が増えてくすぶっていた火種が点いたのだろう。

 

天神橋筋商店街もかつての活気が戻りつつあるが、以前と全く同じというわけではない。暮らしに密着した商店街にいると何が今起きていて、何が必要とされているのかが見えてくる。

 

人と会わないことが一番の特効薬という時代は経済の流れを変え、人との付き合いも変えていく。カバーの向こうにいる店主との語らいもいつの日か当たり前のような時代になっていくのだろうか。

 

調査業についての面談は本来はお会いして事務所に来られることをお勧めしており、ズームの面談や電話相談だけでは最終的に双方が全信頼を感じ取れにくく、人生の一大事をしっかと聞くにはお会いすることが必須なのである。

 

そんな中でも、やってくる相談者に配慮をしつつ、対象人物もこれまでと違うイレギュラーな時間にいるので調査の手法も変わっていく。

 

天神橋筋商店街を歩いていると、天神祭のお囃子が威勢よく流れていることに気づいた。日本三大祭の一つで130万人が訪れるが、中止となったのは大阪天満宮によると戦後間もない1946年以来で神事祭儀は公表せず神職のみの開催となるらしい。

 

天神祭は疫病退散を祈願する祭、本来1年をかけて祭の入念な準備をかけるがこの中止は日本中の祭も同じ状況になっている。そんな中、せめてものと流したお囃子に天満人の心意気を思い、苦しい時の神頼みではないがこの苦境をどうか超えられるようにと願う。

 

長年、天神祭があって夏の到来を感じ、心浮き立ち賑わいがないのは寂しい限りだが、いつも依頼人に言う言葉を自分に言い聞かせる。今、明日ではなく、来年、自分がどうしているかを考えよう。

 

それに向けての準備を整えたい。