私の夫は誰だったの?
2019年4月09日 カテゴリー:雑記
映画を見終わって想像していた以上に佳作だった場合、原作をチェックしてみるが、この作品はある新聞記事を読んでインスパイアされて作られた作品であると知った。
映画の題材となった、その記事は当時、主婦だった私の一日始まりをひどくざわつかせたことを思い出す。1991年11月、朝日新聞の記事の見出しは大きく「夫は誰?あなたは誰だったの?」と書かれていたからだ。
5年間内縁関係だった夫が病死したため死亡届けの際に、持参した夫の身分証明、戸籍抄本の全てが実は偽者だったと判明し、そんなはずはないと勤務先の病院、大学にも訪ねてみるが該当する人物がないことに愕然とする妻の叫びだった。
夫は医師だと言い、自宅には東大医学部の卒業証書のコピー、ドイツ語の書き込みのある医学書、医療用器具の入った鞄、医大職員の身分証と、700ページに及ぶ原稿用紙の書きかけの小説も残されていたという。
一緒に暮らしていた夫が亡くなったことも辛いのに、それが実は見知らぬ人だったと知った時、妻として驚きを越えたかなしみがどれだけあったことだろう。
夫は心臓外科医で週末だけ研究室で実験をしているといい、月曜帰宅するというパターンで暮らしていたが徐々に体調を崩し、医者でありながらどれだけ病状が悪化しても病院に行こうとしなかった。
そんな日々の中、寝たきりのはずなのに自宅を空けたことがあり、心配した妻が出張先の浜松医大を訪ねた所、そんな人物は存在しないことに気づく。
妻は夫の素性について激しく詰問するも、夫は何も答えることなく息を引き取ってしまうのだった。そして、死の間際には「死ぬしかなかった。本当は生きていたかった」という謎の言葉を残している。
この話にはまだ先がある。
この新聞記事を見てたどり着いたのか?この男性を20年間探し続けていた妻がいて、ようやく男性は本当の妻の元へ戻ったと記されているが、男性が一体どんな人物であったのか興味が尽きないが、その詳細については書かれていない。
なぜ本当の家庭を捨ててまで、偽りの生活を続けようとしたのか、映画の中では悲しみの中で自分を変えようとした決意があったのだが、現実の世界ではそう簡単にこれまでの自分を変えることは容易ではなない。
妄想を大きくふくらませてしまうが、実際には日本において警察に届けられている家出人数は年間8万人以上の人が失踪し、9割近くが戻ってくるのだが残された人は失踪したままなのである。
あえて、家出人届けを出さないケースも含めると、この一見平和に見える日本でも家族と縁を切り、或いは事件に巻き込まれているのか、無縁社会の中で多くの人が生きていることに驚かされる。
家出人の家族の流す涙は知らぬ間に追い込んでしまった後悔や、家出した理由すらわからない慟哭の中にいて、受けるこちらも一瞬足りとも気の抜けない時間の中に共にいるが、やはり思うに事実は小説よりも奇なり。
事の詳細を知りたい欲望に駆られてしまうが、内縁の妻と本当の妻をどれだけ苦しめてしまったかと思えばどんな深い事情があったにせよ、罪深い夫である。