映画「こんな夜更けにバナナかよ」
2019年1月31日 カテゴリー:雑記
30年ほど前だろうか。
スーパーの壁の掲示板に身体障害者の人がボランティア求人を出していた。
その文面には状況がとても逼迫していることが書かれており、住む家が自宅からほど近い所で玄関に車椅子が置かれているのを見て心がざわつくが私は何も出来ず、ただその手書きの求人を眺めていた事を思い出す。
シリアスな題材でありながら、このふざけたタイトル。
大きな期待はなかったものの予告編を観てシネマ気分が高まって、その後ホイットニーの映画も見るべく2本続けて観ようと目論んでいた。
だが、2本目を観ることは出来なかった。
バナナの余韻で心が震えてしまったからである。
涙が後半につけ、ナイアガラのように溢れ、しんとした映画館の中で恥ずかしくて鼻をすすることも出来ない。
鹿野靖明の生涯を映画化された実話であり、子供の頃に発症した進行性筋ジストロフィーは徐々に身体を蝕んで、18才で車椅子生活になり、23才まで施設に入所するもそこでの生活に絶望し何度も脱出をはかる。
まだ在宅看護のなかった80年代に自力で24時間介護のボランティアを募集し、道営ケア付き住宅に入居を決意する。だが、それはけして自由を勝ち取ったわけではなく、いばらの道だった。
介護は親がするものという絶対的な概念を鹿野は親にも親の人生を送ってほしい、甘えると親はこんな身体にさせてしまったことに立ち直れなくなると、強い意志を持って親との接点を拒み続けた人生だったいう。
ボランティアが急に来れなくなると24時間介護が必要のため民間の有料スタッフを用意しなければならず家計は常に火の車だったが、それでも可能な限りカラオケや旅を楽しみ、恋をし、失恋をし、結婚し、離婚をする。
それは人として与えられた当たり前の人生の数々であって、常に普通でありたいと鹿野は自己責任論のもと医療の限界にまで挑戦をし続けた。
映画ではコメディ要素と美談のように描かれてもいるが、関係者によると、ボランティアに感謝の言葉を告げることをしなかったので衝突を繰り返していたようだが、懸命に生きる鹿野の姿を見つめ続けることで、介護の真髄を知りボランティアたちのその後の人生も大きく変っていったという。
人のために何かをしてあげたいという欲求はきっとどんな人にもあって、それが困った人であればなおのこと、力になってあげたい。ともすればそれは自己満足の世界で関わればその奥の深さに神経を疲弊することもある。
20年の間にボランティア数は500名以上、大学生が中心で自堕落な生活に何かを求め志願した人や医学生をやめた学生も鹿野の影響を受け、再度、医学部に入りなおし医者になった人、多くの医療関係、教育者として活躍しているという。
実際の鹿野の態度について相対する意見も多くあるようだがその天秤は対等であらればならないというのが鹿野イズムは最近になって注目されてきたようだ。
人との関わりは何度も失敗と挫折を繰り返しながら、それでも懲りずに人と関わっていると何も見返りなど求めていなかったのに、助けているつもりが実は自分も助けられていることにはっとすることがある。
極限の世界で生きている鹿野を目の前にしたら、おまえはちゃんと生きているのか?
そんな言葉が刺さってくるようで、もっと深く知りたくなり鹿野に関する本を読んでいると鹿野が呼吸器を付け、煙草を吸う写真を見つける。
いいのか。
それはいかんだろう鹿野。
文春文庫 「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」 渡辺和司