天神橋筋商店街18
2018年8月22日 カテゴリー:未分類
ポール・オースターの原作でNY、ブルックリンの小さな煙草屋を舞台にした「スモーク」という映画がある。
その店で煙草を購入する客たちの人生はとても複雑だが、哀しみの中にも愉快な話も散りばめられた群像劇となっていて、この店で買う1本の煙草から物語は始まる。
私は 数年前まで喫煙者だった。
購入していた煙草店は事務所から数分の商店街にある小さな煙草屋。煙草店と他の業務の兼業のようで店主は高齢だったが、いつも機敏に動き回っていた。
喫煙者の減少やコンビ二での購入、自動販売機も増えて、まれにレトロチックな店構えで老女が窓口に座っていたりするお店もあるが、町の煙草屋はどんどんなくなっている。
店の横には販売機があったがカードを持っていないので、つい窓口で買ってしまう。一日のルーティンワークは狂うことなくいつも同じ時刻で購入し、店主と一言二言話し、一日が始まった。
窓口にあるビニールのカーテンは手作りで、それを客が開ける音が客が来たの合図で、常連客の顔を見ただけで他の仕事の手を止めて、銘柄と個数を瞬時に用意し煙草の出窓に走りこんでくる。
妻は身体が辛そうにみえ、ただ窓口に座っているという風で目が会うと煙草を探そうとしたりするが、夫である店主はいつも優しい言葉を妻に投げかけ、肩を抱き無理をしないようにと言う感じで、いつもながらの素早い動きで私の銘柄を手渡すのだった。
商店街などの自宅兼の客商売の全てがそうであるように、いつ来るかわからない客の応対は朝から晩まで気の休まる時もなかっただろうと。
ある朝、その店が工事中になっていた。
妻は介護の中亡くなったと聞き、店主は今入院中らしく店を廃業をしたと聞く。
夫婦でいることは元気な時ばかりではない、辛い苦しい時こそ一緒にいることの意味を見せてもらっているようで店主の顔を見ると、そんなに急ぎなさんなという風で、その姿はまるでお地蔵様のようで慈しみに溢れていた。
いつもつまらぬことに意気を上げてしまう私は、ここの窓口に立つと、商店街の風に吹かれ、ちょっと小休止していたのかもしれない。
喫煙がひどく嫌煙されるようになってしまったが、たまに吸いたくなる時がある。
噴出す煙が身に纏いつけば徐々に心を落ち着かせ、誰かと乾杯しながら嗜む煙草のおいしいことを知っているからだ。
この煙草店は紛れもなく、映画「スモーク」のように、この天神橋筋商店街を眺め続けてきたといえるだろう。ちっぽけではありましょうが、私の中の歴史に名を残す名店として心のページに記そう。
長い間、愛煙者のためにありがとうございました。
新しい店舗は飲食店が入るそうですが、また新しい風が吹きます。