謹賀新年 2018年
2018年1月09日 カテゴリー:雑記
新年明けましておめでございます。
昨年中にお世話になった方々ありがとうございました。
本年も変わらずのお引き立てを下さいますようお願い申し上げます。
さて、新年早々悲しいニュースが聞こえてきました。
一生に一度、晴れの日である成人式に着物の着付けを予約していた人たちが、成人式まであと数時間という中、着付けの準備に出向くと着物はおろか、事務所はもぬけの殻で、店側との連絡の電話が一切通じなくなったという。
そこで購入した着物だけでなく、自分の着物を当日の着付けの予約として預けていた人も多くいたようで代々の受け継がれてきた着物も、転売されている危険性があるらしい。
成人式は華美にしなくてもという一部の非難めいた声があるものの成人式は日頃着物など着ない女性が若さを一番美しく魅せる姿で、両親、祖父祖母と親族が心からその成長を祝う姿ではないかと思う。
その写真は一生の晴れ姿として残されるもので、女性としての優美な姿だけでなく、いつの日かそれをじっくり眺める時は時代の流れを感じさせる家族写真になっているような気がします。
中には、その着物も母親がローンを組んで購入してくれたものもあって、2年ほど前から、どんな柄がいいかと親子で何度も店に足を運び、晴れの日としてようやく楽しみに向かうと、信じられないことにそこには何もなく親子で呆然と立ち尽くすしかなかったという。
少なくとも、何故あと一日、この日を待ってあげられなかったのか、という声のある中、これは紛れもない計画倒産ではないかと言われているが、社員の決断で着付けを受け付けた店舗もあったようです。
社員も給料の未払いの中、どんな思いでこの会社に年末まで残り新年を迎え、美しさを彩る仕事は常に笑顔で接しなければならず、どんな風に客と関わってきたのだろうかと思うと胸が詰まります。
もし20才の私がその場にいたとすれば、ただ涙がこぼれるだけで、今日の一日は悔しさでいっぱいになって誰とも会いたくなかっただろうと、そして、置かれた両親の気持ちはいかばかりだろうかと。
涙の洪水におぼれてしまいそうな話ですが、この顛末を知った同業者や、美容室が救済に乗り出し、Twitterでボランティアで援助を申し出るなど、残された時間が少ないため当日即座に新成人のために多くの人が立ち上がったという。
この世の中どんな不幸が起きたとしても、お金ではなく、ただ何とかしてあげたいという人達も確実に多くいて、被害にあった女性は泣きながらこの救済にどれほど人の優しさに救われたかと号泣していた。
日々流される理不尽なニュースは、余り得るものがないので極力見ないようにしているが、人は自分に出来ることならば助けてあげたい精神が自然と生まれることに人として生まれた意味を知ります。
私は泣いてる人に、ただ一緒に泣いてあげるのではなく、大きな力は持っていませんが、涙をふいてあげて、次の準備をしてあげる人になりたいと願います。
未だ耐え忍びながらながらこの年末を越えた依頼人の方。
新しい人生を踏み切った依頼人の方。
踏みとどまった時間の中にいる依頼人の方。
多くの方の人生の形に私はいつも大きな現実の壁を感じながら、今年も関わる方たちに助けていただきながら、乗り越えられたらと思います。
重ねて本年もどうかよろしくお願い致します。