夫の鍵
2017年11月24日 カテゴリー:調査記
星新一の作品の中で好きな短編で「鍵」という話がある。
ある男の拾った鍵の話で、この鍵に合う部屋はどれだけ素晴らしいのだろうと妄想し、世界中を探し求める旅に出る。だが男はいつしか年を取り疲れ果ててしまい、ついに鍵に合うドアを作り、その扉をようやく開けることになる。
扉の向こうにいた天使があなたを待っていたと、どんな願いも叶えましょうと言うが、男はもう自分は過去の思い出だけで充分である、何もいらないと言って物語は終わる。
こんな素敵な話を読むと「鍵」がロマンティックなものへとイメージされるが、鍵は人生の扉だけではなく、事実としてその家に一歩入るために与えれた最大のプライバシーあふれる重要なものであることを忘れてしまう。
浮気は思わぬ所からは発覚することがある。
ふと見た夫のキーホルダーにつけられたある1本が不信に思ったというが、夫は仕事柄、多くの鍵を何本か持っているのだが、なぜかこの鍵に心がざわついたという。
妻はこの鍵を密かにコピーしてみようかと思ったらしいが、その鍵に合う部屋を見つけることは不可能であり、時々不信に思った行動を思い返し、やはりこれは夫の相手女性宅の鍵ではないかと確信したという。
鍵を持っているということは自由にいつでも出入りが出来ることで、相手女性も心を許し、いつなんどきでも会える関係の深さと、鍵を持っているという事は互いの愛情の深さを感じるというのだった。
ジャラジャラと鍵束の揺れる音を聞くだけで、ネガティブな妄想がふくらみ、ついに隙を見て、その鍵をキーホルダーから外し、勝手に処分してしまったという。もうこれで女性との関係を切れるかのように願った妻だった。
心なしか不審に思う時間はなくなったように思え、数週間たった頃、妻が勝手に捨てた鍵がまたキーホルダーにつけられていることに気が付いたという。同じ鍵でであると断定できるのは、処分した鍵を捨てずに持っていたからである。
夫は自分がどこかで落としてしまったと勘違いしたのだろうが、再び鍵がつけられていたことにショックを受けその鍵を持って相談に来た人だった。
鍵の話に夢中で、探偵ならば鍵から何か特定出来ないだろうかと混乱してやってきた。
この鍵は何なの?と聞けないのは長年、夫婦仲がぎくしゃくとしていて夫婦として向き合う時間を持っていなかったので、今更、夫に本音で何かを訊ねることがもう出来なくなっているのだった。
それでも、最後に夫婦として、嫉妬という隠された愛情が残されていて、妻はもう愛していない、興味がないといいつつ、現段階で妄想の鍵の主に激しい感情をぶつけるのだった。
20年ほど前の依頼人の話だが、その頃は冬に華やかな御堂筋のイルミネーションはまだなく、面談を終えたホテルを出て果てしなく続く銀杏並木をコートの襟を立てながら一緒に歩いた。
駅はすぐホテルの地下にあるのだが、きっともう少し話したいだろうと、このまま梅田まで歩いてみましょうかと提案し、御堂筋沿いにあるアート作品を一つ、一つ触れながら私達は歩き続けた。
妻の心は決まっているようで結果が出れば離婚をすすめると淋し気に言いつつ、これでようやく長年の澱のようなものが解決出来る、もう妄想をしなくてもいいわと必死で心を引き締めているようだった。
鍵の謎を解けて、依頼人からは数年に一度連絡がある。それは決まって12月である。御堂筋のイルミネーションの電車の中吊広告を見て、私を思い出すらしい。
夫婦になると、いつからか敵対し合ってしまい、とてつもなく長い時間をかけながら憎しみを日常化させていく。ネットで「だんなデスノート」というのが人気と知ると夫婦で居続けることの苦しみは深い。
そんな気持ちを払拭してくれかのような星新一の「鍵」は、苦もあり楽もありの凝縮された人生が終わりに近づいた時、どんなふうにあなたはどんな人生を終えたいか教えてくれる珠玉の短編だろう。
御堂筋のイルミネーションが始まった。
今年も一人で端から端まで歩きます。