不幸の中にある幸福
2017年10月10日 カテゴリー:雑記
それはきっと間違いなく幸福の時間のさなかにいるはずだが、そんな時間にいても、それが幸福なのだと誰も教えてはくれない。幸福を知っている人はきっと不幸を味わった人だけなのかもしれない。
例えば離婚してしまったとしても、全てが辛い時間だったわけではなく、笑顔でいた時間が多かったとも思いたい。
結婚している時、夕刻になるといつも早く帰らないといけないという気持ちにさせられた。夫の帰宅時間は遅かったが、主婦として日が暮れる前に家にいるということが普通の感覚にあったからだ。
買い物をすませて淀川べりを自転車で家路に急ぐ。今日はお買い得品を買えたなと、小さな幸福が主婦になるとたくさんあって、天気が続くとなぜか嬉しくなり、金曜ドラマを熱心に見ていた。
EVが上昇するとキッチンにいても、廊下を歩く夫の靴音はすぐにわかって、帰宅を迎えると家の灯りが一気に明るくなったような気がした。
離婚して20年になるが、私は本当に結婚生活を営んでいたのだろうかと思うほど徐々に記憶は薄れつつある。
結婚していた時には考えられない職業をしている私は、今の職業については、けしてなりたくてなった職業ではない。
離婚を考えていた私は、探偵社の求人募集に「人の話を聞く仕事です」そうかかれていた時、はたして人の話を聞くことがきちんと出来るのだろうかと実は普通の人以上に非常に不安を覚えた。
何故なら私は常々、人から何か相談事を持ちかけられるタイプでもなく、女性の多い職場でパート勤務していたが、何かで悩んでいるという女性の話はほとんどが決着のつかない話が多く、誰よりも苦手だった。
だが、初めて電話相談を受けた時、話が佳境に入ると顔は見えないが電話をかけてきている人の姿が見えるような、これまでの結婚生活さえもうつしだされるような妙な感覚に陥ったのだった。
この人も夕刻には台所に立って、夫を迎える準備をしながら、幸福の時間にいて、ある日を境に普通の生活から一気に目に見えない何かに支配されそうな恐怖を感じていることに。
うまく話せない相談者にジグゾーパズルをうめるように、話がしやすい道のりをつけることや、話を聞くことは話をしやすい環境を作ることが一番大切であることに気づかさせられた。
離婚を視野に入れる依頼人の妻に何か私がアドバイスが出来るとするならば、本気で人生を変えたいと思えば、どんな困難も超えられると言うことだろうか。
今の困難はただ今の瞬間だけの困難であって、これ以上大きくしないことを考えなければならないが、多くの悩める相談者は今起きていることだけにとらわれすぎて、一歩も前に進めない感情の中にいる。
感情ほど予測のつかないものはなく、落ち着いているものと思っていたら、死を選ぶ間際まできている人もいて、心を映し出す風景は自分さえも気づかないこともある。
奇しくも私は自宅に帰る車窓から、かつての結婚していた線路沿いに建つマンションを眺め、散歩コースだった淀川の風景を毎日見つめ続けさせられている。
数年は辛く、けして車窓に立つことはなかったが、その風景は最近になって、懐かしい、ただ懐かしい気持ちにさせてくれるようになった。
線路沿いを買い物品を乗せた自転車に乗っている30代前後の主婦を見つけると、あなたは今、毎日が大変だろうけど、きっと幸福の時間の中にもいる、そう伝えたくなってしまうのはなぜだろう。