浮気を赦す時。
2017年9月26日 カテゴリー:調査記
人は皆、罪人。
赦されなくてはならない存在。
その赦しを体験したら、周りも赦さなければならない。
言葉にすれば理解出来るが、いざ自分が経験するとそれは絶対赦すことなど出来そうもないのが不貞行為であろうか。
裁くな、裁かれないためだ。という言葉は「十戒」が聖書の基本になっているが、誰も守れないからこそ教えとなっていて、行為をしなくても思いを持つだけで同じ罪になるという。
この言葉はある女優の不倫について牧師が語った言葉であるが、不貞行為をされた人の苦しむ姿を長年眺めてきたので、赦すという言葉はどれほど難しいものであるか、誰よりも知っている。
なぜなら、人の感情の中には悲しみと憎しみと愛情が計算できない分量で作られているので、全くゼロの愛情ではなく、時には100%、1%と日々変化もしていく。
愛情のなせる技という言葉のように人は愛情の中でこそ大いなる発揮をしていく。それは仕事、家庭、友人関係とその関係の期間が長ければ長いほど知らぬ間に成長していくように。
信頼を取り返すにはどれほどの時間が必要なのだろう。
女性との不倫が発覚し、もう会わない、女性とは関係を切るという念書を書いた夫だったが、妻は何か心がざわつき、調査をすれば通勤途中で会い、毎朝モーニングを食べていたカップルがいた。
偶然、その日会ったというわけではなく連日会って、終始笑顔でいたのである。
喫茶店で仲良く珈琲を飲んでいる姿は知らない人が見れば普通のカップルに見えるだろう。ただ、もし違うとすれば、この二人は誰かを傷つけていることに鈍感になってしまっていることだと思う。
生きていく上で、まっとうに生き抜くことは不可能に近いが、私は自分の職業が教える、十戒の教えは人間の業でもあり、守れないからこそ人間らしいのだと痛感する。
赦すまじと勢いよくやってくる依頼人の多くは不貞の結果を知って、一番赦してしまう人たちである。
本当に赦さない人は調査をお願いすること実は少なく、自分で別の解決策を行う。
愛憎の狭間で真実を知りたいという人が一番多く、調査を終えて1年ほど経って今頃どうされているのだろうと思っていると必ずメール等で連絡が入る。
過去の感謝の言葉を更にまた頂戴し、少しづつ穏やかな時間が戻りつつあるなどと書かれていることが多い。
聖書のようにはいかないが、人間は余りのショックを受けると過去を振り返るようになり、自分を見つめるようになる。
そう思える人であるからこそ、一度は失いかけても取り戻すことが出来るのだろうか。
依頼人との出会いは一陣の風のようで、調査が終わるまでどう変化するか気が抜けない。だが、有り難いことに神様はいて、どれだけ愚かな行いをしようとも、激高と同時に愛情の深さも映し出す瞬間を見ることがある。
赦すという言葉の意味は想像を超える苦しみの先ににある。
人様の大切な人生を左右しかねい私のアドバイスは間違っていなかっただろうかと思い悩む時もあります。
そんな秋の夜長に依頼人からのメールはいつも私を勇気つけてくれます。