けものたち10
2017年6月28日 カテゴリー:雑記
深夜、心地いい風が部屋中を流れる。
初夏を思わせる涼やかな風である。
自室で野菜チップスの袋を開ける時は用心している。ビリビリと音を立てて開けようとすると、1階にいる愛猫らが恐ろしいまでの瞬発力で2階の自室のドアをぶち破り襲いかかってくるのである。
なので静かにそろそろとジッパーを開けるが、それでも彼らは瞬時に階段を駆け上がり、閉じたドアに爪をひっかけ、小さな指をくねらせ器用にオープンさせ数十秒後には背後に立っているのである。
そして、それがおやつのささみでなかったことに気が付いて、落胆し哀しみの表情を見せるのが、何といじましい愛くるしい表情なのだろうと私は机の引き出しから、ささみボーイを差し出す。
遠くで猫の雄たけびが聞こえてくる。
夜の集会が始まったのだろうか。
集会場所はわかっている。
終電で帰った日だった。深夜に山道を抜けるのは怖かったが、町で一番の邸宅に差し掛かった時、野良猫たちが邸宅の庭の中で、互いがある程度の距離感を持ちながら円座のように座っていたのを目撃した。
門扉の隙間から覗いていると、皆、それぞれあらぬ方向を見ていながら、一番奥に存在感を持った銀猫が皆を見下ろしていた。
その邸宅の主は猫好きのようで彼らが立ち入ることを拒んでおらず庭の片隅に木製のレトロなゆりかごが置かれていて、目をこらすと老猫が顔をだしていた。
その家の近くで野良猫が交通事故にあったが、この界隈のボス猫で悲しい最後だった。その場所に随分と長い間、花がガラス瓶に刺されていたがその花々はその家の庭に咲く花ばかりだった。
人間と暮らす家猫の平均寿命は15年から大きく伸ばしつつあるようで、野良猫は3年と言われている。自由と引き換えに、かくもすさじいアスファルトジャングルで生きるけものたちの最後の姿は餓死ではなく、事故死が多いのかもしれない。
邸宅の中庭で行われる集会はアイコンタクトだけなのか、人間が想像するほどドラマチックなものはなく、ただお互いに確認しあう沈黙の中で猫たちはいた。
邸宅の付近は街灯も少ない旧道は未だ、けものみちのようで電動自転車で走り抜けると、ハクビシンを見かけたことは何度もあり、現実に熊も出現しているほど、カントリーロードである。
自然環境が多く残された我が町でも、けものたちのテリトリーは少しづつ破壊され、熊が出現したという情報は2度ほどあって、深夜この街灯の少ない山道を通る時は気をつけている。
毎朝、シジュウカラの鳴き声で目を覚ます。
「スキ、スキ、スキ」とさえずりをするのはオスらしいが、メジロ、ホウジロ、ウグイスたちが輪唱し合い、贅沢な時間から一日が始まる。
けものたち、鳥獣たちは、この急激に変化していく環境を人間よりはるかに敏感に感じ変態しながら生き残っている。そして、ただ生きるために里をおりるが、その姿を見られれば生きていくことをゆるされない。
命をまっとう出来る環境があることを祈り続けたい。
そして、絶対に熊には出会わないことも祈り続けている。