不倫事件簿1
2017年4月14日 カテゴリー:雑記
不倫の結末の恐ろしさを知る多くの事件がある。
中でもこの事件は人間模様のディティールが非常に深く、その後が気になる事件だった。
妻が自宅の電話にリダイアルで友人にかけようとしたところ、「はい〇〇です」と女性が名を名乗って電話に出たところからこの事件は始まる。
この名前は夫の勤務先の女性であり、妻は一度会ったことのある女性で、まさかと思いつつ、夫への不信感がこの相手女性からのものだったと気づいた瞬間だった。
時は1993年。
まだ携帯電話のなかった時代を匂わす浮気の発覚で、ふたりは同じ会社で上司と部下の関係から始まった。
大手電気会社に勤務し、尊敬から女性は男性を師匠と呼び、既婚者と知りながらも女性ははじめての男性との交際に舞い上がっていたのかもしれない。
この関係に何度も終止符を打とうとするも男性は、妻とはうまくいっていない、もう愛していない、いずれ一緒になろうと言い続け、女性は妻と同時期に妊娠していたが、男性側の説得から2度の中絶をするという不実な関係を続けていた。
電話の件から、すでに妻の知ることとなって、弁護士を通して話し合いを続けていたが、妻のある言葉に打ちのめされたという女性は歪んだ本性を現すことになる。
男性の鞄から自宅の鍵を抜き取り、毎朝妻が夫を駅まで送迎するために自宅を出る時間を知っていた女性は、妻が夫である男性を乗せ出発するのを確認して、速やかに自宅に入り恐ろしい計画を起こす。
ポリタンクを抱え団地の階段を駆け上がり、自宅に放火を行い子供の命を奪おうと決意したのは、夫婦の大切なものを失わせたいという激しい狂った嫉妬だった。
自宅には就寝中だった6才と1才の子供が無残な姿で命を落とす。ポリタンクをまき散らすも中々着火出来ず、爆風で玄関まで飛ばされながらも逃げ帰った女性は、その後父に連れられ警察に出頭し逮捕された。
1995年、夫婦で1億3千万の民事訴訟起こす。
「支払い能力があるとかないとか金銭の問題じゃない、世間が可哀そうな女と言っても私は許さない」と激しい憎悪をむき出したのは当然である。
隣家に燃え移った団地への損害賠償については加害者の父が全ての財産をなげうって長きにわたって示談交渉を成功させているが、父の姿は今にも崩れ落ちそうで、金銭で済まない問題は一体どうやって解決すればいいのだろう。
2001年7月17日、無期懲役刑が確定する。
夫妻が子供2人を殺害された損害賠償請求を求めた裁判では、女性の両親が夫妻に1500万円を賠償金として支払ったことに加えて、女性が夫妻に3000万円の賠償金を支払い、和解している。
男性はこの結末を作った張本人であり、無論、仕事は解雇されている。
だが、その後、この夫婦は一男一女を儲け離婚をしていないという。
自宅には仏壇や子供たちの写真もあるだろう。月日がどれだけは流れたとしても心をもう一度通わせて、夫婦は声を出して笑うことなど出来るのだろうか。
事件後10年目に妻に独自インタビューしている記事を発見する。
事件当時、夫婦は世間から大バッシングを受け、心無い誹謗中傷から逃げるように住み慣れた町を離れたようで、現在、家族4人で暮らしているという内容だった。
不倫の激しい渦の中に居続け、発覚してからは現実逃避のように過ごしているのかもしれないが、霧がどんどん深くなって先が見えなくなり、どこにも帰れなくなってしまうのが不倫の結末なのかもしれない。
妻の胸中は想像を絶するが、まるで不倫に悩む依頼人からいつも聞かされる話のようで、私にとってはこのような事件は一つ間違えば同じようなことが起きるのではないかと心配のタネでもある。
なので調査が終了してもその後の経過を聞かせていただいているが、相手女性については関わることがないので一方的に聞くばかりで、心の有り様がわからない。
時々不安になるが依頼人の正念場となって行く夫婦のその後については、何か力になれないかと、いつも模索している。
事件名 「日野OL不倫放火事件」