日本のお父さん2
2017年3月23日 カテゴリー:雑記
坂の上にあるクリーニング店は私が学生時代にオープンした店だった。そこは小さな自宅兼店舗型のお店でお父さんがひとりで切り盛りしている。
近辺は新興住宅地で、坂の上に広がる団地群を一手に引き受けバイクで颯爽と走りまわるお父さんの姿を見たのは40年以上になるだろうか。
私は離婚して実家に舞い戻ってきて早20年になる、ようやく生活が落ち着いて休日、町を散策することが多くなったが独身時代に気づかなった町の様子の変化を知る今日この頃である。
これまでクリーニングについては御用聞きのように自宅に訪ねてくれていたがここ数年は持参するようになった。なぜならお父さんの足腰の問題で、玄関からドアまで階段の多い家々を回ることが辛くなった様子が見て取れたからである。
以前よりクリーニングに出す品は少なくなったものの、たまにその店に毛布などを出しにいくと懐かしいお父さんの姿がそこにある。
ちんまりと受付に座っている姿は、まるで狸の置物のようで、壁にはられた魚拓や写真は休日に出かけた釣りでゲットした魚の写真がぐるりとはられていて私は一つ一つエピソードを聞かされた覚えがある。
お店は半分は駄菓子屋にしていた時代もあり、いつからか徐々に在庫を減らし、家庭雑貨も置くようになり私は丸椅子に座り、魚談義することが楽しみだったがある時から魚の写真が数年前からストップしていたことに気づく。
久し振りに訪ねた時は棚はがらんどうになって、おしゃべりは少なくなり少し疲れた様子でいつもの受付に座り、何か物憂げな表情でいるのだった。
町全体が進化していくとでもいうのだろうか。
子供たちの歓声や学生たちのはしゃぐ姿も消えていき、急こう配の坂道を超えていく姿は息も絶え絶えの老人たちである。
町の活気はやはり若い人たちの往来であろうが、もはやこの近辺は独居老人たちの町へと変貌を遂げ、昼間というのに驚くべき静寂に包まれている。
数十年などあっという間で、私にはお父さんはいつも定位置に着席し笑顔で町を見守っているシンボルのように思えてどれだけ急いでいても私は電動自転車をスピードダウンして手を振ると満面の笑顔をくれる。
人生には何度も魔物が現れる。
目の前の大きなものを時に崇拝し道を間違えてしまうこともあれば、予期せぬ心を震わす出会いであったりと、人間は死ぬまで、少しでも今の暮らしを豊かにしたいと思うのが常なのかもしれない。
この小さな町で着実にやってきた人生は派手さはなくとも、称賛もなくとも美しい人生の流れの中に生きる、私にとって日本の良きお父さんである。
一部の値上げについて申し訳ないと毛布などはシーズンオフに出してくださいといつも言われるも儲けの少ない仕事に違いなく、己がつけた汚れを一滴でも許すまじ輩もいるはずで商売はその荒波を超え、今も気の抜けない毎日だろう。
一つのことをわき目もふらず、黙々とやり続ける人を尊敬する。私には叶わなかった夢だったせいか、そこでしっかりと根付いて暮らし、子供を育て上げ、家を仕事を守り続けていることに。
私はこの店に定点観測カメラを設置したく、好きな番組な一つでもあるNHKの「ドキュメント72時間」になぞらえ、この店にやって来る人たちの人間模様が繰り広げられるのではないかと思っている。
ゆえ、一歩ガラガラと店のガラス戸を開けると、この番組のテーマ曲である心をほっこりさせる松崎ナオの「川べりの家」が流れる。
私は丸椅子に座り、店の残された在庫の菓子を購入させていただき、店主が気が向けば入れてくれる茶でも飲みながら、どんな風に進化しようとも、ここでこの町の良さを語り合えたらと思うのだった。