けものたち8
2016年9月23日 カテゴリー:雑記
事務所から帰宅するまでの帰り道、犬地図を確認しながら歩いている。
私が出会う犬たちは20匹前後だろうか。
土佐犬が巨体を震わせながらやってくる。
その散歩している姿は下腹の肉が地面に触れ、息も絶え絶え、見ていて心配だが帰る家は居酒屋の隣にある犬小屋である。
あちこちに「病気治療中、絶対に餌をあげないでください」との注意書きが書かれていて、ここは交差する広い道にあり、この犬に声をかける人が多く、どうやらこの界隈のアイドル犬のようだ。
散歩を嫌がる犬を懸命に歩かそうと飼い主の男性も必死で、どれほどこの犬に愛情を注いでいるかが感じられる時間で私はしばし、眺めてしまう。
天満駅の裏側のとある場所で、コーヒーの香りが漂い、カントリーミュージックが聴こえてきた。ワイルドなステーションワゴンが置かれ、男性がギターを弾いていた。
そこには数匹の大型犬が隠れるようにいて、皆、虐待されていたのを保護したらしく誰にもなつかないと言ったが、声をかけるとあちこちから顔をだして近寄ってくる。
名前はゼウス。
全員ギリシャ神話からの名前だが、いつも彼しか覚えられない。
昨年、千葉県で犬が警察官に射殺された。
体長120センチの紀州犬は何人かを襲い、懸命に捕獲を試みたが、襲いかかることをやめず飼い主さえにも噛みついた。
格闘は長時間で困難を極め、犬は発砲にひるまず、何度も向かってきたため13発目でようやく倒れたという。
近所の住民によればその犬はある家庭に飼われていた何代目かの犬で、猫も多数飼われ犬好きだったと聞くが、名前はどの犬も同じの名前でミリと呼ばれていた。
ミリが散歩しているところは誰も見たことがなく、家はゴミ屋敷、小さなベランダに動くこともままならないところへ押し込まれ、糞尿も片付けられず鎖につながれたままで、鳴くと激しい虐待を受けていたという。
何度も脱走し、脱走直後のミリを目撃していた人がいて、電柱におしっこをして嬉しそうに走っていたので、ようやくあの家から逃れて自由になれたと涙ぐんでいたそうだが、それはつかの間の自由だった。
犬は本来我慢強い生き物であると聞いたことがある。痛みにも恐怖にも耐え、どれほど辛くても飼い主への愛情を失わず忠誠心を持つことが出来る生き物で、それを伝える多くのエピソードがある。
スーパーの前で犬が電柱に繋がれているのをよく見かけるが、どれだけ声をかけても視線は飼い主の姿を必死で見つめ続ける。それがいつもの習慣であっても、このわずかな時間にさえ犬は今生の別れのように思う。
いつからか、けものは自由を失い人間にとっての癒しとなるべく、子供のように愛玩するようになった。
動物先進国であるほど動物への放棄と虐待は絶えず、ネットでは見るに堪えない姿にさらされた犬たちがいる。
ネットの世界はネガティブな集大成だと思うようにして、それを払拭するように「犬、再会」のキーワード検索で飼い主と犬と再会シーンを何度も見て心を落ち着かせる。
落ち込む私に犬地図は都会と住宅の狭間のそこが思わぬ場所であっても犬たちは僕たちは愛されているよ、ほら安心して、ここにいるよと存在感を表してくれる。
あなたと過ごした時間をわすれません。
最後の時間を一緒に過ごしてください。
そう書かれていたのは動物愛護センターのHPのトップページで、少なくとも私の知る犬たちはみな、愛されて最後の瞼を閉じる瞬間まで飼い主といる。
私はつい寄り道をしてしまい、そこで一杯のコーヒーを飲み、立ち並ぶ巨大マンション群を見上げながら、けものたちと触れあっているが、いつも必要以上の癒しを求めてはいけない、そう肝に命じている。