天神橋筋商店街11
2016年9月12日 カテゴリー:雑記
この商店街に外国人観光客がやって来るようになったのはいつからだろう。
天神橋六丁目駅と直結している場所にある、大阪市営が運営している「大阪くらしの今昔館」前には、いつも多くのアジア系観光客がオープン前には列をなしている。
ここは江戸時代の大坂から昭和の時代までジオラマで再現され、わかりやすく時代の変化が体現できる人気の観光スポットになっている。
そして、寿司の「春駒」にも日本人以上にアジア系の外国人が行列するようになった。そして夕方にはケーキの美味しい「西洋茶館」にも若い女性が店の前で写真を取ってFBに早速アップしている。
ここを訪れた旅行者のSNSの情報を得てやってきているのだろうか。彼らは裏天満界隈を練り歩き、なにわの湯で垢を落とし、スーパー玉出の電飾看板を撮影し、天満市場を散策し、天満のディープな世界を自撮り棒と共に歩く。
「春駒」が混んでいると知ると、もう1軒の姉妹店まで知っていて、私がかつて地球の歩き方をもって旅していた時代とは違い、情報は常におニューで正確に伝えてくれる。
ハンドバックのメーカーに勤務していた頃、この商店街にはバック、袋物店へ再三営業にきたが、すでに店舗をたたむという商店主が多く、今やハンドバックのみを扱う店舗はこれだけ長い商店街でも1店舗しかない。
鰻屋にUNAGIと大きく書かれた看板を発見する。
商店街の生き残りの策は客の変化を早くつかみとって概念にとらわれずチェンジしていくのである。
それでも昭和の匂いに包まれた変わらないお店も残されている。
天五横丁入口にある洋品店「フジヤ」はパジャマ専門店だが、主に前開きパジャマが置かれていて、それは入院患者必須アイテムで、おしゃれさは追及出来ないが、探すと見つからない品がここにたんとある。
今年に入って、この商店街に目につくのは相次いで和装小物のお店や着物の店が数店オープンしたことであろうか。どの店もお手頃価格の呉服屋さんだが、着物を着る人が少なくなってきているのに謎である。
最も外国人観光客の多い浅草の仲見世付近では食べ歩きは一切出来ないとの注意書きがあるらしく、これは衣服や着物などの商店の商品が汚されるトラブルを避けるためである。
この商店街でも、中村屋のコロッケや、もも福のからあげ等を食べ歩きしている人が多くいるが、これは旅の一番の楽しみだろうから禁止せずにマナーを守ってほしい。
そして、私は時々商店街を見上げる。
各店舗の外看板には、かつての屋号が今も残されている店もあり、まだ街には量販店やインターネットなどもなく商品は置けば全て飛ぶように売れ、いつも人波にあふれていた時代に思いをはせる。
古地図でみれば、事務所付近の地名で「与力町」とあるが、名の如く与力・同心と 共に大阪の北部の防衛を意識して配置された町づくりを意味する。寺院それぞれに開山の歴史があり、千年以上の寺歴を残す名刹もあり、天神橋筋3丁目付近は寺町でもある。
近くに大塩平八郎の墓所の御朱印をいただきに成正寺へ伺ったが、そこは清々しい空気が流れ、突然伺ったにもかかわらず現れた僧侶の方の佇まいは凜として、振る舞い全てが美しく、こちらがもっと襟を正せねばならない気持ちになった。
つい、この商店街は、おばちゃん街頭インタビューが有名で激安商店街と思いがちだが、とても歴史ある魅力的な街であることもお伝えしたい。