俳人 渥美清
2016年8月15日 カテゴリー:雑記
私はかねてから渥美清という役者はジャン・ギャバンのようなフィルムノワールな作品や、或いはジャック・パランスが年老いてから出演した、映画「バクダットカフェ」のような作品がお似合いだと思っていた。
プライベートは全く謎の人だったらしく、仕事の打ち上げも宴席も一切参加せず、徹底的に人を寄せ付けなかったのは寅さんのイメージを壊したくなかったようで、タクシーで送られる際も、このあたりでと人目につかない自宅から離れた場所で降りたという。
その厚いベールに包まれた私生活は、車は一台も所有することなく、賭け事や酒も飲まず、派手な生活を好まなかったという。
評判となった映画や舞台をよく見ていたことが役者達の間では有名だったが、一般の人には「寅さん」とは、まったく違ったスマートなファッションであったため、全く気づかれなかったという。
様々な映画、ドラマ、舞台のオファーがあったが、これもまた寅さんのイメージを壊してしまう恐れがあったため最終的に全て辞退し、「男はつらいよ」に全てに焦点をおいて生きていた。
家族構成は妻と子供が二人。原宿に「勉強部屋」として、自分個人用のマンションを借りており、そこに籠っていたことが多かったらしい。
気になる記述を見つけた。
息子である健太郎は、講談社『月刊現代』2002年8月号の記事『七回忌を前に初めて書かれるエピソード、寅でも渥美清でもない父・田所康雄の素顔』で、渥美が健太郎の食器・食事に対する扱いに突然激高し、激しい暴行を何度も加える等のドメスティック・バイオレンスが家族へ日常的に行われていたとも告白している。
「渥美清ウイキペディアより」
経験したことがない人生を演じきる役者という職業はどんな世界にいるのだろう。1年に1作という驚異的なペースでの映画づくりの中にいて、背負い続けた鎧を脱ぐ時間など、一息つく間もなかったに違いない。
渥美清はフーテンの寅さんであり、誰にも愛嬌の良い優しい人で、けしてフランス映画など見ない、そう思いこませるほど演技が実を超えてしまっていた。
没後20年になるが、BSで「昭和の偉人伝~渥美清3つの素顔」 が放送されていた。番組は残念なことにすでに後半にさしかかっていたが、渥美清は俳句を愛していた人でいくつか紹介されていた。
俳句は勉強不足なのでわからないが、ありがちなレトリックなどない、シンプルな心の声と感情の豊かさ、深さ、そして、余韻を含ませる大人の男のエロティシズムを感じる作品だった。
やわらかく浴衣着る女のび熱かな
うつり香の浴衣まるめてそのままに
蛍消え髪の匂いのなかに居る
どんな人も表と裏、虚と実。
スターであればあるほど勝手に謎を作ってしまうが、その人がどんなことを考え、どんな人であったのか、などどうでもいいことなのかもしれない。
そんな数少ない語録の中で。
「好きな女の人がいて、好きな仕事がある。それ以上はなんもいらないよ。
そして、さよならだけが人生だ」
とりわけ俳句が好きでも、渥美清が好きなわけでもないが、この映画を見るたびに男のダンディズムと日本の失った何かを感じてしまうのは、自分が年齢を重ねてきたからなのだろうか。
風天 渥美清のうた 森英介 大空出版