大人の隠れ家
2016年8月02日 カテゴリー:雑記
そのお店を見つけたのは偶然だった。
電話が鳴り静かな場所に移動しようと路地裏に入った時、道端に置かれた小さな看板を発見する。
「ここは小さなあなただけの隠れ家○○○・・・・疲れた心と身体を休め、大人の隠れ家として・・どうぞおはいりください・・」と書かれた手書き看板が店を示す矢印と共に記され置かれていた。
路地のはたまた路地へと引きこまれるも、その店は普通の住宅で窓ガラスもなく、中の様子は不明でためらいつつ思い切ってドアをノックしてみた。
ドアが開いて驚いた。
今、起きました風の髪型の中年のおばちゃんがちょっと驚きの表情をみせつつ笑顔で。
「あっ、食べる?」
怪しい隠れ家、隠微なムードを勝手に妄想していたが、下駄箱の上には郵便物や犬のリードが置かれていた。
スリッパに履き替え、リビングに通され、ソファには雑誌やチラシが積まれ、テーブルの上には佃煮の瓶や飲みかけのマグカップが置いてあった。
わかりやすく言うと親戚のおばちゃんの家に遊びにきたという感じである。
壁には、おばちゃんのかぶっているだろう麦わら帽があるのだが、その裏側に見え隠れするのは雨の日に室内で利用するための洗濯ロープを私は見逃さなかった。
そこがおばちゃんの家ならば、私は存分に足をのばし、犬と戯れ、昼食を腹いっぱいよばれ、楽しい時間をきっと過ごせるだろう。だが、ここは都会のオアシス。大人の隠れ家として期待していた私にとっては何やら解せぬ気持ちでいっぱいになった。
また今度、急用が入った、という言葉を用意していたが、おばちゃんは今日はじめての客の私をもてなす気持ち満々の様子で食後は無農薬コーヒーを出すからねとキッチンの暖簾から首だけ出して声をかける。
食事が出されるのに30分以上はかかっただろうか。私はリビングで茶をすすりながら、ネットで、この店のチェックをしようとしたが一切の情報はなく、聞けば構想1年実質のオープンは昨日で私が客3号らしい。
客の1号、2号は近所の知り会いだったという。
昼懐石の料理をうやうやしくお盆を運んでくると、おばちゃんは私の隣にちんまり座り、これまでの半世紀を熱く語り始めた。BSで見た映画の話や、趣味でやっているちぎり絵や絵手紙の作品の数々を見せられ、ゆくゆくは趣味のコーナーをここで充実させたいとも言った。
ここは隠れ家とあっても、おばちゃんの話を聞かねばねらん家だった。
そして、これから私はどうしたらいいのかしら、料理やこの店の感想も正直に言ってねと私の目を直視するが、私はどんな時もはっきりと意見を言えるタイプだが、言えば止まらないような気がしたので沈黙した。
商売の難しさは人には様々な趣味嗜好があることだろうか。他に類をみないオリジナルを追及することは自分本位になりがちで、よほどのセンスがなければ通用しない。
料理の経験はプロとしては全くないといい、また、料理が好きで得意と言うほどでもないという、これまでの流れを見ていて私なりの解釈なのだが、何か大きな決心でお店をしているようではなく思えた。
商売とは何ぞや、顧客満足とは何ぞやを学んだ1時間であった。
この看板を見て、このドアを開ける人たちは皆、何かに疲れたの人たちだろう。或いは誰かと秘められた時間を過ごすためにやってくるかもしれぬ。
だが、そのドアを開けた瞬間大きなギャップを味わうはずである。おばちゃんのおしゃべりを一方的に聞かされ、半生を聞かされ、ごはんですよの佃煮の瓶が置かれたテーブルで食後のコーヒーをいただくのである。
雨の日に行けばリビングには、おばちゃんの洗濯物がフラップのようにたなびいているはずだ。
その後、何度かその路地に生存確認に向かったが一度も看板は置かれていなかった。残念だが、完全に消え去ってしまうと伺いたくなってしまう。
だが、そこは隠れ家ではない。
断じて。