雨の日と月曜日は
2016年7月27日 カテゴリー:雑記
若い頃は、寝ても覚めても、傍らにはいつも音楽が流れていたような気がする。
そんな時間の過ごし方は独身時代に限られるもので、こなすべく日常に追われ、一日はあっという間に過ぎ去り、むしろ音楽というものが喧噪に感じてしまう時代があった。
それでもふと、懐かしい青春期を過ごした曲は気持ちにしっくりときて、また聞いてみたくなるが、いつの間にかCDを処分してしまっているため聞くことが出来ずネット上を探してみたりする。
忘れられないシーンは邪魔にならないようにいつもは心に閉じ込められていて、耳に流れ落ちた瞬間、自分を過去に呼び覚ましてくれる。
依頼人である妻が夫の浮気に気づいたのは、ここ20年以上、家でも車でも音楽など聞くことなかったのに、ある日、カーペンターズが車中から流れてきたことだった。
夫は恋をしている。
妻はただそう感じたという。
まだ確たる証拠は何もないのに、すでに何かが起きている。或いはこれから起きるであろう気づきは長年連れ添った妻の直観力だった。
人は恋愛をすると音楽を聴きたくなる傾向がある。
そのメロディが身体にしみわたると、会いたさがつのり、延々とその曲を聞いてしまう。
「雨の日と月曜日は」
カーペンターズの数ある名曲の中でも、私も一番好きかもしれない。
妻は、この曲を聞くと独身時代の夫とのデートの数々や忘れかけていた小さな思い出が蘇り、この曲は離れそうになっても、ふたりの何かをつなぎとめてくれるかのように思っていた。
そして、浮気相手の女性とこの曲を聞くのは妻は許せないとも言った。もう離婚をします。絶対に許せないと言い、弁護士の相談も視野に入れていると言った。
この曲が車から流れた時に、これは自分たちの過去の思い出に浸るためではなく、夫が自分のために聞いているのだと感じたのは、夫はとてもロマンチストで、それは妻にしかわからないフィーリングなのだった。
夫の恋は始まったばかりだったせいもあって、あっけなく終わった。同窓会で再会し逢瀬を重ねていたが深みに入る寸前で終わってしまったのである。
苦しいことがあると月曜日は憂鬱でしかなく、はたしてこの一週間を乗り切れるだろうかと思ったりするもの。そして、雨。心をどこまでも落ち込ませるもの。
カレンのけだるく歌い上げる声に聞きほれていたが歌詞は意外にも深く、今の恋愛に疲れ、誰か私を愛してくれないか・・本当に愛してくれる人を探している・・・と、別れの予感をさせる詩なのだと知った。
今後、この曲は依頼人にとって、辛いことも思い出されるのかもしれない。
けれども不幸も幸運もシャッフルされて、残されていた愛情が不幸をねじ伏せ、それでも夫を愛しているのだと、きっと教えてくれるはずだろうと。
事務所の窓を開けると猛烈な熱波が襲ってきた。照り付ける日差しは視界をさえぎるほど強く、張込みが身を隠す場所などない場合も多く、今頃、調査員はどうしてこの暑さを凌いでいるのだろうか。
夏の暑さと常に熱くなってしまいがちな依頼人を鎮めるべく、あれこれ思いをめぐらすも、プロはプロなりの仕事を難なくこなし、依頼人も問題が深ければ深いほど、いつしか自分の力で乗り越えていく。
もうかれこれ、17年前にもなるだろうか。
この曲を聞くたびに、会ったとたんに泣き出してしまった依頼人のことを昨日のことのように思い出してしまう。