神様の所在
2016年7月07日 カテゴリー:雑記
向かいの席の老女のショルダーバックにくぎ付けになった。
それはショルダーバックというより着物地で作られた手製の巾着袋で、安全ピンに小指ほどの懐中電灯、笛、梅干し大ほどの鈴が装着され、広告の裏を綴じた小さな手製ノートの表紙には切り抜きの弁天様が貼られていて、ちびった鉛筆もくくりつけられていた。
ちなみに、この笛については、私自身、万が一の事態に備え、携帯電話に装着していた。これはよく作られた一品で高らかに鳴り、クルクルと開けると住所、氏名、生年月日、緊急連絡先、家族関係、病歴、血液型を記すカードが入っていた。
これを一度、事務所で見せたことがあるが、調査員N氏が笑いを堪えていたのを瞬時に見抜き、今は別の部分に装着している。
そして、誰かが言った。
財布に鈴をつけだすとおばんの始まりであると。
かつて誕生日にブランドの財布を母にプレゼントしようとしたことがあったが、真顔で、この財布には鈴がつけられないと言い、他の品に変えたことを思い出した。
今一度、母の財布をしっかと見れば、大小の鈴、打ち出の小槌、自分の干支、観音様と驚くべきことに大黒様まであり、足腰神社で購入した小さなワラジを含め、全て神社仏閣などで購入したはずで、小さな縁起物グッズが身を寄せ合ってつけられていた。
縁起物は大好きで小さな蛙が小銭入れに入っていて、回数券入れには観音様のお姿の黄金カードがあり、ベットのヘッドサイドには小さなマリア様が見守って下さる。
この統一性のない、一貫性のない神々が共存していることに母は何ら疑問を持たず、いんやもっと増え続ける可能性もあり、絶大なパワーを頂戴しているようだ。
鈴をつける意味は金運アップだけでなく、やはり、落とした際に音が鳴るので不測の事態を避ける意味があるらしいが、それでも耳の遠くなった母は何度か小銭入れを落とし、鈴のサイズが大きくなっている。
このような品を財布にバックにつけることが、おばんの定義になるとしたら、私は甘んじてそれを受けよう。なぜなら私は充分におばんで願わくば早く、もっともっと年齢を重ねたいとも思っている。
そんなある日、依頼人の方が小さなとても小さな鈴を下さった。それは風鈴が微かに鳴っているかのようで、控えめで非常に気にいっている。
その後、別の方からも、仕事柄たくさんの方の複雑な縁の中でお仕事をしているでしょうからと、邪気を払う意味がある石でもあるらしいグレーの石のお数珠を頂いた。
華やかなパワーストーンの中から、私にふさわしい地味な色目を選び取り、誰かの幸福を思うような余裕が生まれたことに嬉しく思う。
元来、神頼み的な品は私の中で敬遠していたところがあったが、そのお数珠は依頼人の再スタートする上で重要な関連する品であり、私は眺めるたびに自分の仕事を誇りに思い、すっきりとした気持ちになる。
人生を誰に頼ることもなくスマートに優雅に生きることが望ましいけれど、何か微笑ましいような不格好さを常に併せ持った人が私は大好きである。
やはり親子か感性は同じで、母も持っている、その笛。
神様どうか、一度も鳴らすことなく無事に人生を終えられますようにと願いながら、見知らぬ老女が私に経典のように見せてくれた弁天様に手を合わせた。