休日のパワースポット
2016年6月14日 カテゴリー:雑記
自宅を出てすぐ携帯電話を忘れたことに気が付いて、自宅に戻る。
だが、数分後にまた他の忘れ物に気が付いて舞い戻る。
このような行為を最高3回繰り返すと、出かけるなされの暗示ではあるまいかと気を引き締めるが、単なる年齢からくる気の緩みで生じただけであろう。
慌てていたので側溝の踏み板を踏み外し、あわや転倒するところだったが、それでもこれですんでよかったと、私は側溝の向いにいるお地蔵さまに手を合わせる52才である。
例えば朝から気持ちよく、今日は庭木を剪定でもしようかと張り切っていると、母がすかさず易の暦をチェックして「残念でした~今日は木を切ってはいけない日!」と言う。
日常生活の細々にそのような制限されることに気がそがれたが、70を過ぎた母にとって、その提言が日常を大きく左右するほど暮らしているのではない。先人の知恵を授かって注意を払うことで面白がっている部分があるようだ。
人生の折々のジャッジメント。
それは死ぬまで無数にあって、それらをうまく交わしつつ、突き進んでいくが、時には易者に、パワースポット巡りに、と誰かに行く末の教えを案じてもらいたい時がある。
私の職業である相談員の仕事も調査の見積りだけでなく、一番はその後の行く末についてご心配になられる方が多くいて、調査が終わっても可能な限り時間を取ってお話しを聞かせていただいている。
まだまだ未熟者で大きな何かを成し遂げた者でもありませんが、一つ言えるとしたら離婚経験者であるということが依頼人と唯一共鳴できるため、その後の何かを提案出来るのかもしれません。
ちょっと気持ちがすさんだ夕刻。
電車の中で、お向かいの席に座っていた若い女性の左手に「宝くじ」と小さく書かれているのを発見し、私は笑顔になった。
リクルートスーツの彼女は、忙しさに忘れぬように面接の後に梅田の宝くじ売り場を目指したのだろうか、きっとその小さな暗号は面接官には気づかれてはいないと思えば、いとおかし。
人生は小さなことから大きなことまで気づかぬうちに神頼みをしている。
この信号をうまく渡ることが出来たら。
ベルが鳴る間際の列車に乗れたら今日一日ハッピー。きっと、苦戦中の就職活動の中で宝くじも買うことも。
母に一体いつなら木を切ってもいいのだと尋ねると明日という。
神様は常に試練をお与えになる。
その日は猛暑だった。
雑草が腰まで伸びた一角の裏の木も切るようにと言われ、蚊に刺されぬようにバイク用の雨合羽と農家用の麦わら帽で完全防備で挑んだが、何度も暑さで倒れそうになった。
隣人のおじいさんも同じように汗だくで庭木の手入れをしていて、熱中症を心配してか、奥さんが何度も様子を見にやってきて。
「おとうさん~麦茶とカルピスどっち飲む~」と聞くと。
「カルピスぅ~濃いめで~」
大きなガラスのマグでグビグビ飲む、若干強面の風貌のおじさんを眺めつつ、夫婦共に家を守り続け整える姿は日本の良き家族、まるで是枝監督の映画のワンシーンを見ているかのようで、後半戦の刈り取りにパワーを頂戴した。
カルピス濃いめでの注文の件を私は早速、母に伝える。
母は、クーラーのかかった心地いい風の中で猫を抱きながら「私も濃いのが好き」と言って戸を閉めた。
そして、何がおかしいのか、私の扮装を笑い作業にいそしむ姿を窓越しにカシャカシャとガラケー撮影。後でチェックすると、大きな白豚が庭を徘徊しているような後ろ姿ばかりで気持ち的に許せないが、私はカルピスは薄めが好きである。