エルメスのケリーバック
2016年3月29日 カテゴリー:雑記
ある場所で小さな箱を発見した。
それは明らかに指輪が入れられた箱のように見えた。
一度はスルーしたが、やはり気になり舞い戻り手に取ってみる。
小さな箱は開けるとやはり入っていたのは指輪だった。
なぜここで指輪が捨て置かれたのか、しばし謎解きに立ち止まった。
時は一瞬にして、かつて結婚していた頃のマンションのごみ集積場にエルメスのケリーバックが捨てられていたことを思い出す。
そこは完全にフェンスで仕切られ猫一匹すら入れないコンクリートの小屋だったが、不法投棄が絶えないため、ある時から住人は専用の鍵を持つことになった。
集積場はいつでも捨てられるため夏は生ゴミが悪臭を放ち、すぐに立ち去るようにしていたが、ある晩、このゴミしかない場所の片隅で不思議な輝きを放っているものを発見する。
近づくとその正体はブラックのエルメスのケリーバックだった。
一体なんぞよとざわめいたが、よく眺めるとそれはエルメスによく似た、あくまでもエルメス風なのだった。
当時私はバックのメーカー勤務をしていて、照明の下でチェックすると、ステッチの幅、金具、全体の姿からそれは精巧に作られた新品で、触った革の感触から数万はする代物だった。
どのような経緯があったのわからぬが、バックとして充分に使えるはずのものが、本物でないことを理由にまるで捨て子のように扱われゴミに埋もれ、このエルメス風を不憫に思って仕方ないが持ち帰ることも出来なかった。
ゴミの中には人間の様々な人生の決着が散りばめられているようだった。どれだけ愛着しても捨て去る時期、手放す時がきてそれは粉砕されるのである。
ある人にとっては使えるものでも、自分の嗜好に合わなければこうして、ただのゴミとして扱われることに非情さを。
後ろ髪を引かれたが、救済することは出来ず静かにエルメスとお別れをした夜。当時、結婚していた夫に報告すると「本物でないから捨てたんじゃないの」と言った。
私は貰った人が好きじゃなかったから即座に捨てたのだと内心思った。女はそういうことが出来る生き物なのですと。
指輪は然るべく処置をしたが、どうやらまだ落とし主は現れそうもない。
都会の街の中には不思議なことに、恋愛小説のヒントに出来そうな激情ストーリーが時々あるので、ぼっ~としてはおれぬ。
私は指輪についても発見した日時から推察し、勝手にドラマチックに想像して、熱く調査員に語っているが、なぜか完全スルーされている。