亡くなった父との再会
2016年2月26日 カテゴリー:雑記
毎朝、私は亡くなった父と出会う。
電動自転車で坂を下るが、父は息を切らしながら坂を上ってやってくる。
その姿は特徴的で何かの病気か後遺症なのだろうか。身体の左半身が不自由なようで足を引きずり、バランスがとり難いのか、両手はもがくかのように必死の形相で歩く。
それは毎朝感じる生きる鼓動に満ちた、まさに亡き父の散歩の姿で、その先にある高台の公園のベンチで座っていたり、徐々に近づいてくる姿を見かけるだけで、何故か泣けてくるのだった。
男性は風貌や服装が父に似た人で、父も病の後遺症で近所の病院に出向く時に、同じようなスタイルで歩いていたことを思い出し、私は心の中で父と呼んでいる。
かつて、父は駅までの道のりは長く暗いトンネルを抜けるコースが早道だと、足を引きずりながら、すでに筋力が衰えていたが両手でバランスを取り、突き出すように歩いていた。
病気で痩せたが骨格がしっかりとした身体付きで、その日は全身を覆いつくす黒いコートに黒のニット帽。目のまわりに湿疹が出来たのでサングラスを着用していた。
自宅に着き、父は笑ってこう言った。
「トンネルは暗いから、私をチカンとおもたのかな?
女の人が速足で逃げるように坂を上がって、何回も何回もふりかえるんよ!!」
そのトンネルは不審者情報が多く、女性の背後に回って抱きつくという事があったらしく、のっそり歩く姿に違和感を覚えたのかもしれない。
父は自転車愛好者で、休日には自転車でどこまでも出かける人だった。
徐々に歩けなくなることに、どれだけ絶望し、辛いことだったのか。
医学書を読みこなし、行く末を知っていた父は筋力の衰えを恐れ、母に反対されてもどしゃぶりの雨でも傘をさし、合羽を着て病院まで身体を奮い起こし歩いていた。
その姿は痛々しくも思え、当時私は父が歩く姿をみることが辛く、サービスで利用できる介護タクシーをなぜ使わないのだろうと理解出来ないでいた。
そんなまるで父と同じような男性を今年に入って一度も見なくなり、この小さな町で見知らぬ父の面影を思い、ただ無事を祈っていた。
その日は郵便局に用事があって、山道ではない住宅街を抜けるという、いつもと違うコースで駅へ向かった日のことだった。
偶然にも、ある家の庭先で懐かしいあの父が妻と思われる女性といたのを目撃する。
妻は首に巻いた襟巻を優しく巻き直し、山道とは反対の道をいつものように両手を突き出し行進するように歩く姿を見えなくなるまで見送っていた。
きっと、これまでのコースは坂道が多く、往来する車も多いので、安全のためコース変更したのかもしれない。
その姿を見るだけで、当時、父がどんな気持ちで日々、病と闘っていたかに気づかされ泣かされてしまうが、お前は何をしているんだいと優しく言われれているようで心が熱くなる。