人生の停滞期
2016年2月17日 カテゴリー:雑記
年末、以前から気になっていた押入れにある段ボールを断捨離しようと開けると、懐かしい英語のテープとテキストと日記が出てきた。
「私は夫と映画に行きました。とても楽しかったです。
そのあとレストランに行きました。」
20年前に英会話を習っていた頃の宿題だった。
内容はお恥ずかしい限りの小学生レベルの日記である。
目的は勉学でも仕事のスキルアップでもない。ご近所に住んでいるイギリス人宅へ美味しい紅茶を飲みに行く・・・そんな感じの軽い気持ちで通っていた。
フィーリングが合ったとでもいうのだろうか。先生はどこか懐かしい雰囲気を持っていて初めての面談で即座に通うことを決意した。
時代は林望氏の「イギリスはおいしい」が売れ、じわじわとイギリスブームが始まっていてダイアナ妃が注目され通って1年ほどだっただろうか?
ある日、先生のアルバムを一緒に見ていた時だった。
マンションのドアの前にたたずむ先生の写真に私は驚いた。
実は、そのマンションは私が独身時代に住んでいたところで、よく見ると私の部屋のドアが写り、足元には捨て置いた古新聞や雑誌も束ねているのが写っていた。
この人物への漂う何かが、一気に謎が解けたようで、何かで読んだ出会う縁のある人とは過去にどこかで必ずクロスしているという仮説が証明されたとでもいうのだろうか。
目を閉じて過去に思いをはせると、確かに隣人は外国人で、エレベータのないマンションで廊下ですれ違うことが数回あったが、いつも微かにムスクの香水がしていたことも。
独身時代、隣人とは不思議なことに出会うことはなく、たまにすれ違う狭い階段で互いに身をよじりながら、「Hai!」と気さくに声をかけてくれたが、じっくり顔を見ることはなかった。
かつての隣人であるとわかると一気に深く親しくなったが、だが、この2年前後のお遊びのような英会話レッスンは私の努力が足らず、全くモノにならなかった。
レッスンにやってくる人たちは私とは志が違い、主婦になっても留学や海外短期滞在にチャレンジするほど好奇心に満ち溢れ、遊びではない真剣に英語と関わる人たちで私は圧倒されていたのかもしれない。
頻繁に開催されるパーティは人種の違う人たちが集い、関西にはこれだけの外国人がいることに驚いたが、この時期を境に私の人生は急展開して、離婚のため真剣に自立を考え、のんきに習い事等行けなくなってしまう。
人生に行き詰ると誰とも会いたくなくなり、ホームパーティもバーべキューもキャンセルするようになった。
どうしてだろう。
悩みの奥深くに入り込むと感情だけに支配され、同じことを延々と考えながらソファの上で6時間いたこともあった。
枯れ果てた身体に徐々に水が染みわたるとでも言うのだろうか。
環境の変化を受け入れ、もうソファに座っている時間すらないほど働き、離婚後の数年は記憶にないほど多忙だった。
転職したのが調査業だったため、更なる苦悩もあったが、少なくとも前に進まない頭の回路は現在まで一度もないといえるほどクリアである。これは本来の性格なのではなく、日々聞かせていただいている悩みが私を成長させてくれたのだと思う。
そして、ここで多くの違う価値観を持った素敵な友人を得て、英会話をやめても未だお付き合いをさせてもらっている。
ただ残念なことが一つある。
先生は現在イギリス在住ゆえ、ぜひとも激動に満ちたこれまでのストーリーや近況をお伝えしたいのだが語学力がなく、先生も日本語が読めないので今のところ再会のよろこびは、FBのいいねボタンでしか現せていない。
それでも、50を過ぎて何が楽しいかと聞かれたら。
人生の折々にいる懐かしい人たちとのいつかの再会でありましょうと。
人生の停滞期は誰にもあって、ただ、がむしゃらに今を生き抜くことで、苦しみも悲しみもいつか必ず笑い飛ばせることを身をもってお伝えしたい。