駆け出し女と駆け出し男
2015年12月07日 カテゴリー:
質素倹約令が発令され、暗い影が落とされた時代。
様々な苦しみを持った女たちはどこにも逃げることが出来ず、江戸幕府公認の離縁状を通達することの出来る柏屋へ向かった。
江戸後期、離縁(離婚)は夫の方からしか出来ず、妻は耐えるしかない時代。劇中の御用宿・柏屋は離婚調停を行う家庭裁判所のようで、その相談内容も現代と何ら変わりなく、人間模様が繰り広げられる。
たとえ離縁できたとしても、その後の生活は苦しいには違いない。
それでも何としても離縁を願い、身一つで漆黒の闇の中、逃げた妻を追う追手から逃げ山越えし、迫りくる追手に捕まる寸前、草履や簪を投げ入れ門扉を開けてもらうため真剣勝負で走るのである。
駆け込みは作法があり、先ず柏屋で入念な聞き取り調査を行い、示談の話し合いをするが、それらがこじられた時、吟味の上、鎌倉の縁切り寺でもある東慶寺への入所が許される。
そこは尼寺で厳しい生活を強いられ男子禁制、ここで2年(3年ともあり)を真っ当に過ごすことで自動的に離縁出来るシステムになっていたようである。
ある妻はその長年の過酷な作業から火ぶくれとなった顔を夫は愛人と嘲笑い罵り、働きもせず女遊びに狂い、離縁を頼んでも足蹴にされるだけだった。
また、遊郭の出の女は正妻ではなく妾であったが、この関係は承知の上でも、病的な性癖の異端を涙ながらに述べて別れを願うのである。
女如きが何を言うと柏屋をよく思わず潰そうとする者や、極道を引き連れ刀で襲撃しようとする者もいて、ここで働く者も優しいだけではなく、口八丁手八丁で戦術を練り強者であらねばならない。
そして、寺に入所してもすでに心を病んで妄想の世界にいる妻もいて、苦しみは深く、ここにたどり着くにも簡単ではなかったとされ、それでも、そこは唯一無二の女たちの最後の砦だった。
江戸の人は随分と早口だったらしく、独特の節回しは小気味いい。この絶望の淵にいたはずの女たちの苦しみを柏屋のキーパーソン的な人物である大泉洋が太陽のように暖かく包み込んで、この映画の重さをいい意味で支えている。
満島ひかる扮する妾のこだわるあだ話が泣かせる。
人を愛することの終着点はそれぞれであって、女を見くびっていた荒くれ男がそれを知った時、ただ涙である。
全国に離縁につなげた寺は群馬の満徳寺と鎌倉の東慶寺しかなく、解決への相当の金額を支払い、現実はこれ以上の激情が繰り広げられたに違いないが、この東慶寺への駆け込みは1870年に終わり、救済された女性たちは2000人を超えたとされる。
いつだったか鎌倉街道を走っていた時に、喫茶吉野という素敵な古民家の茶屋を見つけ一服したが、映画を見ていて、この直ぐ先に東慶寺があったことに初めて気づいた。
駆け込んだとされる長い階段の先の門扉は写真でしか感じられないが、600年間縁切り寺として存在した、その全風景を眺めたい。次回はぜひこの目でその地を訪ねてみたいと思っている。
映画「駆け出し女と駆け出し男」2015年作
原作 井上ひさし「東慶寺花だより」