おいで一緒に行こう
2015年12月01日 カテゴリー:雑記
読みたいが読めない本がある。
これまで何度も書店でレジに向かったが、ページをめくると涙が滝のように流れ、棚に戻すの繰り返しである。
猫と暮らして30年になる。子供の頃は動物を飼う家庭ではなかった。犬や猫が捨てられているのを見ると私は必ず持ち帰り、どれだけ拒否されても一歩も引かず親を困らせる子供であった。
裏庭で密かに飼っていたが、下校して自宅に戻ると箱ごと捨てられたことを知り10歳の私は心から親を呪い、早く大人になって飼うことを願いながら生きていたといってもいいだろう。
一人暮らしで初めて2匹の猫と暮らした。21年と15年の命をまっとうしたが最後を看取るのはどちらも突然だった。朝起きると、冷たくなった小さな身体が私に寄り添っていて鼓動が今にも止まりそうなほどにゆっくりとしていることに気が付いた。
獣医に連絡するが手立てはなく、温めると助かるかと思い必死に温めたが、21年は人間では100才にあたるらしく、静かにゆっくりとろうそくが消えかける時間にいた。
ただ涙があふれて、自分自身の無力さを知り、慣れ親しんだマンションから離婚により老猫を実家に連れてきたことが災いしたのかと、今更どうしようもないことを後悔ばかりするのだった。
15年生きた子も別れは突然やってきた。前兆はあったが油断してしまい、急激に悪化し母の胸の中で初めてケモノのような叫びをしながら、心臓発作を起こした。数日の延命治療したのち命のスイッチを切ることを決断した。
カーペットにめり込んだ体毛を見つけては泣き、町で似た子を見てまた涙。
たかだか猫一匹にここまで心を震わされることに自分でもわからない。
その後、また2匹の猫達と出会った。彼らも家族に愛され、小さな湿疹でも、大事にならないかと動物病院へ連れていく。それが幸福なのかは人間のエゴかもしれないが少なくとも病気になっても絶対に手離さないだろう。
2011年3月11日未曾有の震災が起こった。
福島第一原発の周辺地域には避難勧告が出され、無人となった町に飼い主の帰りを待つペットたちが取り残された。
鎖に繋がれた犬や室内飼いの猫はすでに餓死し、絶命していたが目を覆いたくなるほどの事実が多くあり、皆、家族同然でありながら連れていくことの出来なかった事情は胸がつぶれる思いになる。
置いて行った人たちを非難することは出来ない、その時の判断がすべてであって先ず人が救済されることが最優先で、ある人たちからすると、ただのペットにすぎない。
この本はペットレスキューなる人たちが、この今もなお残されたペットたちに半径20キロ圏内の避難勧告地域だけでなく法的にも禁止とされる警戒区域へ自ら出向き、決死の覚悟で食料を運び続ける人たちの話である。
おいで一緒に行こう・・とペットたちを保護をするべく動いているのだが、その環境の変化に恐怖で震え、声をかけてもそばに来るものは少なく、ただ飼い主を待つ犬たちはそこにいる。
読めないのでネット上にあるレビューや書評、ニュースでの抜粋であって間違いあってはいけないのでちゃんと読みたいのだが、どうしても読めない。
たいていのことは私はさして驚きもせず、どんなアクシデントも落ち着いて受け取る自信はあっても、こと動物、アニマル関係のこのような理不尽な話は自信がない。
心が打たれ、いつまでも波打ち、自分自身の無力さを思い知り、解決方法がどうしようもない出来ないほどスケールの大きすぎる問題だからである。
タイトル 「おいで一緒に行こう」
著者 森絵都
出版 文藝春秋