人生の予測できない事柄
2015年11月09日 カテゴリー:雑記
エレベータの隅っこに靴下が落ちていた。
アーガイル模様の男性用で、あきらかに一度履いた痕跡を匂わす落とし物である。
片足だけの靴やハイヒールがあちこちに脱ぎ棄てられたハロウィンの祭りの後の振る舞いが報道されていたことがなぜか思い浮かんだ。
だがここは、人口数千の田舎の駅である。
若者の娯楽などないこの町で、器用にも片足の靴下が脱ぎ捨てられるとは一体どんな状況に陥ったのであろうか?
私は数日、空想と妄想を繰り返し、そのアーガイルの靴下の主を思う。
誰だったか、酒を飲み過ぎて自宅前に帰り着いたはいいが、片方しか靴がないのに気が付いたという。
無論、時すでに遅し、タクシーにも近辺にも靴の相方はなく、一足のイタリー製の革靴は都会の砂漠にフラッグにようにたなびいていたはずだ。
持ち主は、その片方の靴は捨てないと言った。
なぜなら酒は油断すると媚薬を超えた魔物であること認識させるものとして、生涯残しておくそうな。
イタリーは自宅の玄関にこれまたフラッグのように、たなびいているのだろうか。いや家族に叱られるので、下駄箱の奥にひっそりと布袋に入っているはずである。
アーガイルはしばらく、いい塩梅に構内の脇のポールのような先に差し込まれ、たなびいていた。ユーモアがあるなと眺めていたら、隣にいた、母が素っ頓狂な声で。
探していた靴下こんなとことにあったわ~なんで~。
意味がわからない。
靴下は亡き父のもので、まだ新しく捨てることが出来ず、母は履きつぶそうと自宅用で履いていたが、断じて外出用ではなかったという。なぜこのアーガイルから私は目が離せなかったのか納得出来た一日だった。
子供の着なくなった体操服を母が着用することは聞いたことがあるが、靴下である。
おおむね、適当に脱いで、厚手のタイツの腰のあたりにでも巻き付いて、いつの間にか脇腹から滑り落ちた・・・としか考えが及ばない。
人間の行動は考えもつかないことが起こりうる。
私は知人の葬式に参列していた。
帰宅して、静かに顔から火がチラチラ燃えだした。
喪服のスカートを上下逆に着用していることが発覚。ウエストがゴム製スカートだったことが災いした。
そのスカートの裾はゆるやかなカーブのデザインで、普通体系ならばカーブでスカートは完璧にずり落ちていたはずだが、幸か不幸か、とんがりコーンのようなポンポンがストッパーとなり、スカートはずり落ちず気づけなかった。
ピンと糸が張ったかのような緊張感を持った厳粛なセレモニーのお席で、私は己の姿を想像するに眩暈を起こしながら、遠い目でたたずむことすら可能である。
この姿で往復4時間以上、市内、電車、葬儀場にいたことに恥ずかしさを超え、2度もトイレに行ったのに、なんで?どうして?と自分を攻めまくった。終始そばにいた人たちが気づかなかったならば、それは不自然ではなかったのだと信じたい。
様々な予測できない事柄については、私自身も、私のまわりにいる人も、小さなことにこだわらないおおらかなユニークな人のだと決着し、人は思うほど自分を観察していないことも教えてくれる。
酒はほどほどに。
再度確認を怠らず。
大事なものは落とさぬようにと。
今年もカレンダーは残り2枚。
皆様、ご自愛ください。