ドラマ・金曜日の妻たちへ
2015年8月04日 カテゴリー:雑記
80年代、不倫ブームの火つけ役になった「金曜日の妻たちへ」。
このドラマをご存じの方はきっと私と同じ年代の方だろう。
金曜22時、シリーズ化された作品については、ほぼリアルタイムで見逃さず見ていたように思う。バブル時代の幕開けと女性雇用均等法、女性の生き方が模索されていた時代だった。
登場する夫婦たちはニュータウンに住み、夫をたてる堅実な妻、自立した職業を持つ妻、子供の教育に度が過ぎる妻だったりと等身大の妻たちの姿が描かれていた。
3作品には結婚を考えない、恋愛出来ない、友情など信じない、様々な癖のある男女たちが複雑に絡みあっていくのである。
古くからの友人同士だった夫婦たちは家族ぐるみ、つかず離れず、何か問題がおきれば駆けつけテラスやキッチンで愚痴を言い合う。そして、家族単位で参加するホームパーティや、庭先でのバーベキューで和気藹々と過ごす。
1作目では不倫というタブーも、ピーター・ポール&マリーの「風に吹かれて」が流れだすと、まるで罪なきものへと浄化されるよう優しく包みこんでくれる。
そして、3作目には「恋におちて」の曲が主題歌で大ヒットしたが、これも不倫映画の「恋におちて」のオマージュのようで、ドラマの中で映画のエピソードが数々と散りばめられている。
そして、ついに、この夫婦たちは絶対的信頼というリングの中で、あやまちを犯してしまう。距離を置くことも出来ずに、その庭先でキッチンで酒を飲み、秘かに葛藤し苦しむのである。
当時、私はまだ独身だったので、男女の逃れようのない関係や家庭を持って徐々に変わっていく夫婦の姿もあまりよくわからなかったというのが正直な感想だった。
70年代まで家庭は質素で勤勉にいそしみ、女は結婚したら家庭にいるべきの考えがまだまだ残っていた時代、だが、このドラマの主人公たちは結婚しても生活を楽しみ、学生時代のように自由にふるまうことは圧倒的に女性から支持されていたという。
ある妻は常に夫に物足りなさを感じ、友人夫婦を妬み、愚痴ばかり言っている退屈という時間の中を生きる女だった。
不倫というバイブスに一番はまり込んでしまうタイプのように扱われていたが、秘かに好きだった男性に言い寄られた時、すんでの所で交したのだった。
対して家庭を一番に堅実に大切にしてきた妻が見事に不倫にどっぷりはまり、家庭を失い、親友を裏切るという読めない展開を繰り返していく。
不倫を扱うドラマは多くあるが、ここまでシリーズ化されたものはなく、華やかしテレビの時代が残した昭和の鬼才、脚本家、鎌田氏の作品は今も色褪せることなく、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を流したセンスは非常に鋭い。
私は不倫は別として、このドラマの主婦のようなライフスタイルに憧れ、テラス付きの家を購入することが夢だったが叶わず離婚して、不倫に悩む人達と深く関わる職業について20年近くになろうとしている。
ラストの展開に納得がいかないが、現実を表すことは限界があるのだろう。
そう思いながら、このドラマを32年ぶりにみている。