けものたち4
2015年6月16日 カテゴリー:雑記
出勤する忙しい時間に愛猫二匹が戯れにやってくる。
膝に乗り、膝の上で乱舞し、ずっと一緒にいたいと小さな身体をはりつける。
その戯れは毎日といってもいいだろう。そして、必ずやって来る朝の別れの儀式は二階の窓辺のレースのカーテンに隠れ、二匹は私が自転車で坂を降りる寸前、見えなくなるまで見送ってくれるのである。
なので時間があれば私はフェイント作戦を行う。自転車で立ち去ったかと思いきや、坂の下で舞い戻る。彼らの名を呼び「ヤッホー」と窓辺に向かい声をかける。
消えてしまったかと思いきや突如現れる私の姿に彼らの瞳は大きくなったように思え、
「ええっ!!どうしてにゃーん」と驚きの確認をすることが楽しい。
だが、最近、近所の爺さんに凝視されるようになった。近辺を自転車でクルクル回り、誰もいない二階に手を振っている私を見て、一体この人は何をしてるんだろうと思っているのだ。
二階の出窓を指さし、爺さんに微笑むが、二匹の姿はカーテンの陰に隠れ見えないので、爺さんはますます私を不信に思っているはずである。
そんなある日、自宅を出て数分、携帯電話を忘れたことに気が付いた。
私は彼らをおちょくろうと思いつき、二階の窓辺にいないことを先ず確認し、自転車を坂の途中に置いて、徒歩で自宅に向かい、そっと門扉を開け、静かに忍者のように二階に駆け上がった。
何故ならネットで見た動画のシーンが胸を打ったからである。
飼い主が留守中、愛犬の様子を知りたく部屋を撮影すると愛犬は飼い主が見えなくなるまで外を見つめ続け、しょんぼりしながらベットで鳴き続け、パジャマに身を摺り寄せ、哀れにも小さく鳴く愛犬だった。
どうやら猫は3歳児ぐらいの知能を持っているらしい。
恋しかろう、寂しかろう。出かけて数分、理解出来ない寂しさで、なぜあなたは行ってしまうと自室で茫然自失、彼らがしょんぼりしている姿が目に浮かぶ。
なので、驚かしたく「イヤッホー!!」と自室を開けた。
一匹は一心不乱に食事中で、もう一匹は絨毯の上で大の字、仰向けになり、けものの急所である股間を存分に広げながら目を開けて寝ていた。
声をかけても微動だにせず、一匹は必死で絨毯に入り込んだカリカリを探し続け、一匹は天井を見つめながら、股間にそよぐ風が爽快なのか寝続けていた。あの出窓の儚げな姿などみじんもなく、自由を謳歌していた。
この真実の姿を見て、何か気持ちがすっきりしたような気持ちでいる。
猫とは曲者で自分の可愛さを知っている女のようで、憂いをもって佇む姿を見つけると、つい寂しかろうと私は名を呼んで、時間があればフェイントを行っている。
ペットを飼っている方ならばご理解いただけるだろうか。
君たちは何を思い、何がしてほしいのか知りたいのである。
よって、コンビニに置かれた「にゃーるほど猫語まるわかり」ブックにすら気をとめてしまう私だが、最近の猫界ブックのヒット作品である「人生はにゃんとかなる!」についても気になっている。
写真と標語が抜群のセンスで、様々な猫ちゃんの味わい深い姿とグッとくる言葉を読んでいると、人生はにゃんとかなるに違いない・・・そう信じたくなる。
そして、このけものたちの持つ力は低迷する出版界をも救済しているようで多くのわんにゃんスター本があるが、中でも私が一押しなのはもふもふ猫のふーちゃんである。なぜスターかは写真をご覧いただければわかるだろう。
あらあら・・どうしたの?って思わず抱きしめて、ほっぺにチューしたくなるにゃんこです。