人を尾行すること2
2015年6月09日 カテゴリー:調査記
どうして尾行するのかと聞かれたら、それは本当の姿を確認したいからだろうか。
例えば夫が飲み会、残業、出張というのは本当かどうかを知るために。
ほどんどの夫婦は言葉で、その不信や怒りの感情を伝えることが出来るだろうが、夫は魔に取りつかれたように、心ここにあらず。
どう切り出しても話はかみ合わず、確証に近い何かをいつも見せられながら、その嘘と一緒に暮らしていかなければならない。
依頼への決断は簡単ではなく、長い時間を過ごすため、そのジレンマの中に陥ると、頭の回路がストップしてしまうのか、同じことにこだわり続けてしまう傾向になっていく人が多い。
夫の当日の予測できる範囲の行動パターンを訊ねると、必ず妻は自分なりの想定が強く、絶対にそのような行動はしない、その道は通らない、デパートなど人込みの多い場所には行かないと言い切る。
そして、調査当日は何かを期待しながらも、何も起らないことを祈る依頼人なのだった。
尾行とは追跡することだが、指定された時間の全てを確認することだろうか。
どの道を通り、どんな表情でいて、誰とどんな風に過ごしていたのか。可能な限り知りたく、妻の思い込みが強ければ強いほど詳細な報告が必要になってくる。
当日、夫は雑踏の群集に紛れ、慣れない場所や駅の構内を右往左往しながら、誰かと出会うためにそこへ向かう。それは妻の予測を裏切る行動パターンだった。
その詳細な経過をしっかりと伝えることで妻は驚き、安堵し、怒り、泣く。だがようやくそのジレンマが解き明かされ解消されるのだった。
尾行は通常考えられない状況下で動かなねばならない場合が多く、映画のように信号無視をして追跡することや、長時間同じ空間を接近戦でいることは出来ず、常に想定外のことを考えながら、どれだけ先読み出来るかに尽きる。
都会では無関心な人達ばかりかと思いきや、どこも街は監視社会になりつつあって、見かけない人物への注視は年々厳しくなり、新人の調査員はこの洗礼にどれだけ耐えられるかが試される。
尾行を成功させるのは、経験を積んだ調査員の長年の感と一瞬の判断。
そして唯一対象人物を知るのが依頼人なので、それがどれだけ思い込みであっても妻の感ほど間違いのないものはなく、十分に事前に話を聞くことだと思っている。
調査の過程を相談員として電話で連絡を受けている時、対象人物の背後を追いかけながらも、その一歩先に調査員がいるような感覚に陥ることがある。
歩くその先には駅が見え、歓楽街のネオンが見える。
その徘徊する場所で、これまでの時間の流れで食事をするのか。酒でも飲むのか。
この人気スポットで二人は買い物をするのか。
眺めるポスターに気をとめ、映画でも見るつもりなのか。
或いは、その先にはある二人だけの世界へ向かって行くのかと。
人を尾行することはただつけ回すことではなく、対象人物の不貞行為を抑えるために決定打の写真と顔が明確にわかる写真が必須であるため、時には対象人物の一歩先にいることが望ましいのである。
調査に縁のない人達からすると、尾行という言葉の響きが何か得体のしれない怪しげなものをうつし出すように思えるかもしれないが、依頼する背景は普通の暮らしを失った人達からの依頼であって、家族の抜き差しならない事情がある。
果てしなく長い道の向こうに、ようやく小さな灯りが見えるが道が見えない。
そこへ向かうのは至難の業、向かうことを阻む人もいるだろう。
調査員の考えとは全く違うだろうが、相談員の私にとっては、どこに行くかわからぬ人を尾行することは危険もあって、まさにそんな風に想像してしまうが心配ご無用と淡々とこなす。
妻は、このことが原因で不眠症と拒食に陥っていたが、一番知りたかったことをようやく知り、眠ることが出来たという。そして、翌朝、久しぶりに朝食を食べ、あれほど思考が止まっていたのに、次なる行動へと変化していくのだった。
人を尾行することは、様々な結果を生み出すが、心の病となっていくことを徐々に回復させるものであると思っている。
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