小さな幸福
2015年6月02日 カテゴリー:雑記
洗濯物をたたむ時は、やはり正座が一番しっくりくる。
だが、たたみ始めて直ぐふくらはぎに何かおかしなざわつきの違和感を感じた。
振り向くとふくらはぎに体長10㎝以上の大ムカデがはりついていた。
瞬間空手チョップで払い落とす。
瞬時に部屋の隅にあった古新聞に目をやるが、これは猫のトイレ用である。
とっさに、その薄さから1発でしとめることは無理かろうと判断する。
立ち上がり、押し入れに捨てようと思っていた厚みのある数冊の旅雑誌の存在を思い出し、瞬時に捨てていい、いんやまた再読をジャッジ。捨てていい旅雑誌を丸めて厚みを作り、角の部分の一発でしとめることに成功した。
大ムカデと目が合ってこの俊敏な動きを持って10秒。
この闘いに勝利したことを自慢したい。
何故ならムカデは想像以上に逃げ足が速く、我が家の老朽化した、ほげた畳の隙間にあっと言う間に入り込み捕まえることが困難なのである。
深夜、家人は熱を持った鋭い痛みで目が覚めたと言う。
不審に思い照明をつけると、大ムカデがふとももを這っていたという。
想像するだけで、身の毛もよだつ恐ろしい事件である。
阿鼻叫喚、大声で叫びたい衝動と今後眠ることが恐ろしい。
自分自身、寝込みを襲われれば、このような瞬時の格闘は出来まい。
ここ最近、平坦な道で突如、足を取られるなど、体力の衰えと疲れを覚えるようになった。だが、このように、いざと言う時の危機回避能力、瞬発力は衰えていない。
まだ行ける、この一瞬の立会いは私に大きな自信をくれた。
正座という身を整える姿が幸いしたのかもしれない。目線は低く、相手と対峠することで、今何をなすべきかの瞬時の判断が出来たのだろう。
この顛末を家族に伝えたところ、日頃からその部屋は裏庭から這い登るのか、よく出没するようで、怖がってしまい今後、一生洗濯たたみの担当をすることなった。
落ち着きどのような種類であるのかムカデ画像をチェックしてみた。闘うことを拒否したくなるほどおぞましい色彩を持つ奴である。
我が家の女達はヤモリや蜘蛛が玄関にへばりついているだけで、2階にいる私を呼びつけ、恐怖で打ち震えていた。
私は暇があるなら、その精密なまでの美しい蜘蛛の糸の一本の始まりからじっと眺めていたい心境にかられ、愛嬌に満ちたヤモリの手足もよく見ると、まるで雪の結晶のような可愛さがあることを知っているだろうか。
しかし、このムカデだけはその存在について気を許すことが出来ないでいる。その後、私はいつも洗濯物をたたむ時、常に緊張感を持ちながらたたんでいる。
おかしな気配を感じると何度も振り返える。
洗濯物の中に紛れ込むこともあろうと事前チェック、必ずパンパンすることにしている。
気を高めながら、たたんでいると、愛猫達が小さくヒャッヒャッとおかしな声で叫ぶ。
ついぞ来たかと視線の先を確認すると遥か先に何か塊が見えた。
私がいつぞや食べて落したに違いない。
ゴミにまみれた黒いチチボーロが転がっていた。
部屋中を狂ったかのように一粒のチチボーロを追いかけまわす猫達。
イラついた一匹が大きな太い肉球でひねり潰した。
散らばった欠片に掃除機をかけながら思う。
日常が、このように穏やかに過ごせていることを感謝をした。
なんだそんなことで思われるかもしれないが、1年365日、仕事を引退するその日まで難事の渦中にいる私は、こうしてこの小さな幸福を大切にしたい。
そして、衰えつつある肉体の強化と精神も鍛えるべく、休みがちであったジムへのトレーニングを誓うのだった。