私が主婦だった頃2
2015年5月07日 カテゴリー:雑記
「幸せとは何を食べるのではなく、誰と食べるかである」。
お寺の掲示板に達筆に書かれたその言葉。
事務所の近辺は寺町でもあるので、歩けば多くの標語が目に入いる。
ハッとさせられることが多く、いつも立ち止まって眺める。
結婚していた頃、私はマンションに住んでいた。
同じフロアーに住む同年代の主婦の人とは仲良くしてもらっていた。
一歩部屋に入ると、全く同じ間取りなのに工夫を凝らしたインテリアや配置に関心することが多く、約束などあまりせず、どちらからともなく声をかけあい、お互いのドアをノックするのだった。
主婦半人前の私は料理のメニューや、ご近所のお買い得情報のやりとり、結婚して変わっていく夫の愚痴をいいながら楽しい時間だった。
しばらくして、もう一人同じフロアーの主婦のA子とも親しくなった。
とてもひかえめな女性で、飼っていた猫が日向ぼっこしているのを遠くから眺めているだけで、どれだけ誘っても自宅にはやってこなかった。
しかし、深夜、彼女の尋常でないドアをたたく音で目覚めると、助けてほしい、家でいじめられている・・かのようなことを泣きながら発するのであった。
私は夫から家庭内暴力を受けているのだと思い、即座に部屋に入れたが強烈な酒の臭いで、ろれつが回らず、ただ、もう家には帰りたくないと号泣する。
その後、何度も何度も救急車やパトカーがやって来ることがあり、近所の自動販売機でワンカップを購入する姿を見かけたが、千鳥足でいるので、声をかけたが、もはや私の声は届かなくなってしまっているのだった。
夫が周辺のコンビニや酒店に妻が来ても売らないでほしいとお願いに回っているとも聞き、酒の販売機は周辺にたくさんあり、私は、はじめてアルコール依存症の人の根深さ知り、たたかう家族の姿も知ったのだが、無論何も出来ないのだった。
酒は、はしゃぎすぎてしまう妙薬だが一日中、何も出来ずただ酒しか飲めなくなることは想像を超える環境になっていく。
高層マンションの閉じられた箱の中にいると、時々息のつまるような感情に支配されることがあった。気持ちいい空気を吸いたく毎日大きく窓を開け放つ。
開け放しても、ここは都会のど真ん中、巨大マンション群が立ち並び、空は小さく、車と電車の往来の喧噪しか聞こえない。
それでも、この箱の中で暮らしていかなければならず、その暮らしを居心地をよくする努力をしたり、同じ暮らしの中にいる人と過ごし、窓を大きく開けながら私はいつも小さな幸せを願っていた。
幸せとは何を食べるのではなく、誰と食べるかである。
この言葉の意味は孤独を表す。
A子は、越して来た時から、夫とは別居生活だった。何があったのかはわからないが、酒は眠れない夜を癒す一杯から始まったような気がしてならない。
猫の背中を優しく撫でながら、君は幸せな顔をしているね・・・そう言った彼女の穏やかな笑顔は酒におぼれていなかった時で、心の奥底にある孤独はけして何も語らないのだった。
その長年住んでいた愛着あるマンションを離婚により引っ越しした。
時々、私は本当に結婚していたのだろうかと思ってしまうほどの結婚生活を超える独身の時間を今、過ごしている。
線路沿いのマンションは通勤途中に見え、辛かった時期は見ないように背を向けたが、最近になって、ただ懐かしく眺めるようになった。
マンションの裏には誰も気づきそうもない場所に古い酒の自動販売機が置かれてあり、もし今もそれがあるとしたら、あの日を思い出し泣いてしまいそうになるかもしれない。
苦悩して、生きることに前向きになれなかったこともあったが、どんな辛い過去も時が経てば、少し笑って、少し泣けることは少なくとも人生は前進しているのだと信じている。