悪魔のような女
2015年4月27日 カテゴリー:雑記
主演はシモーヌ・シニョレ。
1950年代のフランス映画である。
妻と愛人(シモーヌ)が三角関係の中、利己的で暴君な夫の殺害を企て、最後に大どんでん返しが待っている超一級のサスペンスストーリーになっている。
悪女にも様々な攻めのパターンがあるようだ。
さながらシモーヌは視線で殺すことの出来る女であろうか。
この時代、正統派の美しい女優が乱立するかのように数多くいたが、シモーヌはスタイルも声も美しいとは言えず、顔もどちらかと言えば、個性的である。
しかし、ここぞという時にシモーヌか視線を向ければたちまち男は動けなくなる。
シモーヌは多くを語らず、知性と気迫の視線で相手を仕留める。
サスペンスは古い作品の方が圧倒的に面白い。モノクロの映像、カットの手法、再度じっくり見たいがレンタルはされておらずDVDを購入しようかと思っている。
何故なら、この映画を見たのが子供の頃だったので記憶が曖昧で大どんでん返しと言われるラストシーンが思い出せないのである。
子供の私は大人の女の怖さ、狡さ、笑顔で嘘をつけることに恐怖を覚えた。意地悪な人は世の中にはたくさんいるが種類の違う怖さを知るのだった。
トラウマになってしまったのだろうか。
悪女の事件を何かで知ると私は心の中で「シモーヌ・シニョレ・シモーヌ・・・・」そう名前を3回つぶやく。事件などで悪女に翻弄されている人を見ると、知らぬ間にその名をつぶやき、シモーヌにやられたねと言いたくなる。
調査の対象人物にも無論、悪女は存在する。
金品を一滴残らず吸い上げ、マインドコントロールを行い、被害者であるはずなのに、正体を知るまで悪女を庇い続け、愛し続けるため依頼人はそれを察知した家族からの依頼が多い。
悪女とする対象人物の女性はどこにでもいる普通の女性で、割烹着が似合いそうな中年の女性や、ちょっと冴えない感じの女性が多いのはなぜだろう。
調査員は長年、これまで人の背後を追い続けてきた。本来ならば見せない表情、悪癖、挙動を背後で確認してきたので注意人物であるかの嗅ぎ分けについては、圧倒的な動物的感を持っている。
普通に歩いているだけなのに、人たらし的な人物は視線の動かし方や、歩き方が違っていて、時には調査員自身も身の危険が伴うため、嗅覚は非常に鋭いのかもしれない。
悪女の風貌はイメージが作り出した産物で美女は少なく、何度も言うが本物の悪女は一見普通の人である。ゆえ心を大きく油断させ疑いの眼を向けさせないのである。
これまでのおぞましい事件を起こした悪女の顔を思い出していただきたい。
そして、気づいた時すでに遅し、悪女は次の獲物へと走り去って行く。
男も悪魔のような人もいるが、女ほど手際の良さも、したたかさもなく、悪魔になりきれない。力で見せつける威圧する、ただの悪人なのだ。
このような悪魔のような女との関わりは映画だけにとどめておきたい。そして、不信に思い自分で対処しようとすることは、場合によっては逆効果となることがあり、ご相談をいただけたらと願うばかりである。
最近の悪女が犯した事件であるが、その女は独居老人達を相手に交際、婚姻を繰り返し、なぜか出会ってすぐに男たちは亡くなり、生命保険金を得る女だった。
入会していた結婚相談所の自己プロフィール欄には「美味しい家庭料理を作ります」。
そう記されていたそうだ。
長年手作りの料理など食べたことがない愛に飢えた男たちが、その一文で惹かれたに違いなく、絶品だったという切干大根やカレイの煮つけ、そんな普通の暮らしの中に悪魔がいることにとてつもない狂気を感じるのだった。
映画「悪魔のような女」 1955年作
監督アンリ・ジョルゾ・クルーゾ
主演シモーヌ・シニョレ