人を尾行するということ1
2015年4月15日 カテゴリー:雑記
都市の中で時折、僕の感覚に刺激を与えてくれる人に出会う。多くの場合、外見上は普通の人であるが、その人たちはすれ違ったあと、どんなことをするのか?どんなことに興味を持つのか?どこに行き、どこに住んでいるのか?行動を観察し、彼らのうごめく回路。つまり彼らが都市をめぐる道を追跡することで、知らない都市の実態が垣間見れるのではないかと思ったからである。(いちど尾行してみたかった 本文より、一部抜粋)
この本が書かれたのは1992年。
ストーカー規制法が立法される前の話であり、バブル時代の終わった翌年でもある。
なので文中、公衆電話が登場し、渋谷の風景や時代の匂いが今とは違って、インターネット等はまだなく、テレクラが華やかし時代で描かれている。
著者である桝田氏の尾行対象者は数十名に及ぶ。
仕事でもなく、個人的に関係があるわけでもなく、人選はあくまでも著者の好み。
本のタイトルでもある、人の行動に興味をもって、いちど尾行してみたかったらしい。
人の行動とは不思議なもので必ずしも目的があって行動しているわけではない。特に女性は意味なく歩きまわることもあって、結果それが女性の多くにみられるウインドーショッピングである。
1ページに書かれた目次に注目したい。
デパートのお洒落なティーサロンで典型的オバンが口にした「いけない」ものとは何か?
著書いわく、デパートはオバンの遊園地と称して、そこへやってきたミセス風を尾行。私は面白おかしくここに書かれた表現が同じ女性として少々納得がいかないが、あくまでも読み物としてとらえるしかなかろう。
ミセスは混雑するデパートを動き回わり、振り回される。
ブレイクとして、入店したティーサロンで一服へ。
だが、品よく見えたミセスは注文した紅茶のカップに底にたまった砂糖を熱心にスプーンでぬぐい始める。それをしっかと舐め取った上、脇に添えられたレモンスライスに砂糖をまぶし口に入れるのだった。
これがどうやらいけないことらしい。
実際に当社なら、その描写が依頼人的に必要なシーンであれば写真撮影を行うが、著者はあくまで徒歩尾行メイン、写真撮影は行わない。
何故なら、しょせん素人なので写真撮影までは出来ないからだろう。
かろうじて女性の自宅まで判明させるべく追跡する。
発覚寸前、何度も見失い、失敗し、いかに尾行が先の読めない予測不可能な連続ばかりで、気苦労の多いことであるかが詳細に書かれている。
尾行対象者の思わぬ予期せぬ行動や想像していなかった失態の数々。
接触した人物の不可解さに、ますます尾行への興味は尽きないのである。
訪問販売員の営業の男を尾行する話が、私は一番興味深く、同じ働く者として何か身につまされた。
男はマシンとなって都市を歩きまわる。
感情をなくしたようにビルからビルを回り続け、時には何か放心したような表情で歩き続ける。
自由業の著者は半日つきあっただけで、その職業のルーティンワークの無情さと過酷さを知り、そんな男のささやかな一服の場の過ごし方に言い知れぬ深い孤独を知るのである。
尾行・・・・その背徳的快感を感得出来ると、あとがきに書かれているが、あくまで読み物として楽しんで、一般の方が同じようなことを行うことは絶対におすすめ出来ない。
何故なら、その秘密を知ることは然るべく理由を持つ依頼人だけへ提供するものであって、自分自身もそうであるように、大切なプライバシーなのです。
この本は15年前に古本屋で発見した。読むと実際に追跡したのだなと、プロならばわかる文章と、失敗例も多く正直に書かれていている。
人生の半分近くを調査業に身を置いてしまうと、いちどならず、それが日常であり、普通になってしまうことの方が本来驚くべき日常なのかもしれないが、その初心を忘れないためにも時々読んでみたくなる1冊である。
いちど尾行してみたかった 講談社 著者 桝田武宗