再生・日本製紙石巻工場 佐々涼子
2015年3月11日 カテゴリー:雑記
8号(出版用紙を製造する巨大マシン)が止まるときはこの国の出版が倒れる時です。
2011年 3月11日宮城県石巻市の日本製紙石巻工場は津波に呑みこまれ、完全に停止。このような状況で約半年で復興を宣言、工場のため、石巻のため、そして出版社と本を待つ読者のため力を尽くした。震災の絶望から、工場の復興までを徹底取材したノンフィクションである。
(早川書房より一部抜粋)
どれだけ本が売れない時代と言われても、都会の書店には膨大な書籍が置かれ、そこに集い手に取る多くの人達がいる。そして、生まれて初めて出会う空想の世界のファンタジーは絵本である。
読み進んでいくにつれ、日本の出版技術がどれだけ世界最高品質であるか知る。紙の質感、触感は繊細な調整のもとに成り立ち、辞書などに使われる紙は極限まで薄く、破けない耐久性と静電気が帯びないように特殊加工が施されている。
確かに海外の雑誌に比べると日本の雑誌、特にファッション雑誌などは光沢や質感、めくり感が全く違うことに気づかされる。また、子供の本などには小さな柔らかい手が本で切れないような高度なテクニックが施されているのだという。
ここで働く者も震災者であり、家族を家を失くし、甚大な被害状況の中で復興を目指す。凄まじい事態を生き抜くことを支えるのは家族であろうが、その根底に共にあるのは仕事なのだと信じたい。
これまで長年培った仕事を失いかけた時、復活させようと結集し想像を超えた力を生み出して行く。ある意味、神かがり的な力とも言うべきだろうか。
瓦礫にまみれた巨大8号マシンが動き出す様はまるで、マシン自体がここでもう一度生きたい、そう必死で奮い立たせているかのように。そして、最後の希望が紙を必要とする人達が震災時、避難所にいた人たちであったことに勇気を与えるのだった。
本を読むという行為が、しばしの心を鎮める時間として必要とされ、待ち望まれていたのだった。何も出来ない、動けない、考えることも困難な中で、人々はどんな本を読んでいたのだろうか。
石巻市へは親友が仙台にいるので来訪した。
親友夫妻は親族が混迷の中、震災地へは辛くていけないと言っていたにも関わらず、私の来訪により、思い切って石巻に向かったのだった。
そこにいて、言葉に出来ないという言葉しか浮かんでこなかった。
何故なら、この本に書かれた工場地帯には家の土台がかろうじて残され建物など何もなかったからである。
息遣いのあるまま残された家々を見て身体がもぎ取られたかのような胸中になり、私は子供のように泣き、つられて親友も隣で泣いたのだった。
今年で震災4年目になります。
ニュースでしか見られない震災状況が現実の復興状況を表しているのかわかりません。未だ26万人以上の方が避難者であり、仮設住宅者数8万人の人々がいて復興出来る人ばかりではなく、今も闘っています。
今年はその再生した石巻工場の姿を親友と見ることが出来たらと再訪したく思います。
この震災で被害に遭われた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
紙つなげ!彼らが本の紙を造っている。
再生・日本製紙石巻工場 著者 佐々涼子 早川書房