家族写真
2015年1月27日 カテゴリー:雑記
そこはゴミ置き場だったのだろうか。
電柱の前に捨て置かれていたのは、紙袋に入れられた大量のアルバムだった。
紙袋から抜け落ちた写真が周辺に落ちていて、写真の主は小さな子供達。私と同じ世代と思うのは、そのアルバムの表紙がゴブラン織りの立派な昭和のアルバムだったからである。
昭和世代ならば、子供の頃、学生時代、結婚式の写真、子供の誕生アルバムと電話帳以上の大きさと厚みを持った表紙がデコラティブまでに刺繍されたもの持っている。
今や写真を張り付ける作業等はしなくなったので、大型アルバムを思い切って薄型サイズに入れ替えてみたが、写真の断捨離は一番難しく、小さく収めるように写真をトリミングしてコンパクトにした。
誕生アルバムは母の手書きのメッセージや、手型・足型、写真を切り貼りしたものは直接貼っているので、そのまま大切に残している。
差し替えて思う。
昔のアルバムは仰々しいまでに重厚さを持っていた。
表紙の刺繍の中に昭和の匂いまでとじ込めて、絵画の額装のように圧倒的に写真が放つ力やその時代のムードがつまっている。
シンプルになったアルバムは、ただの写真が差し込まれているだけのノートのようで、両手で支えなければ開かないアルバムはやはり強いインパクトを持っているのだった。
子供の頃、自宅に親戚一同何かで集まった時、母が押入れの奥から、そのアルバムを出して皆に見せていたことを思い出す。
過去の家族写真は何度も味わえる思い出の宝箱のようで、若い頃の母のミニスカートに笑い、父がおどけたポーズに笑い、家族だけが楽しめるミニシアターのようで、妹と二人、おでこをくっつけながら、その写真を眺めていた。
震災でも津波で流れ着いたアルバムや写真を一枚、一枚、洗浄し、復元する活動が行われていたが、すべてを失った人にとっては、まぎれもなく生きた証である写真は何よりも意味のあるものになる。
そんな大切なアルバムでも環境が変われば、その証ですら疎ましくなることがある。
離婚したばかりの頃は結婚時代の写真を全て処分しようと思ったが、旅好きだった夫婦の私たちは10冊以上のアルバムを所有していて、なかなかそれらと向き合う時間はやって来なかった。
だが、この道端のアルバムを見た夜、思い切って結婚時代のアルバムを開いたが、心は波立たたなかった。年を重ねただけで今と何も変わらない。そして翌日には写真の整理をする準備を行ったのだった。
子供のいない私は受け継ぐ者もないので、いずれそれらの思い出の箱も完全に消え去るが日があるだろう。そう思うとアルバムの処分は非常にやっかいなものの一つなのかもしれない。
この葬り去られたアルバムを見た時は、家族の歴史、軌跡ともいえる写真を全てを捨て去ることに、一体何が起きてしまったのだろうかと、未だに何かの折に触れ心がざわつく光景であり続けている。