所在調査 会いたい人
2014年12月17日 カテゴリー:調査記
誰しも人生には忘れられない人がいます。
そばにいる時にはわからない、疎遠になって数年、数十年たって、心の片隅にずっとあった感情が静かに湧きあがって来るようです。
人を思い続けることばかりで生きてはいけないので、消え入りそうな炎の中でも、他の誰かと出会い、仕事に切磋琢磨し、一息ついた所で、その炎がまた力強く燃え上がっていきます。
人を探したい理由はたくさんあります。
ただ、いつも依頼人の方の第一声は、あの人は元気にしているだろうか、と言います。
相談員として17年目に入ろうとしています。
中でも、所在調査は調査業の中で大きな転換期に入っています。
個人情報保護の扱い、ストーカー事件、依頼背景の詳細をしっかりお聞きして、中にはお断りしなければならないケースもあります。
思い切って調査会社のドアをノックされる方は、そのノックは控えめで、そのドアも入るのか入らぬのか、けして多くを語らず依頼することを葛藤します。
過去に誰かにうまく伝えられなかったように、思いは上手く表現出来ず、始まりの電話相談はうまくいきませんが、多くは聞かないようにしています。
何故なら、探したい人へのストーリーは簡単に全てを話せる訳ではありません。時を遡り、記憶の底を呼び覚ましながら、この人ならわかってくれるだろうと顔を見て話したいからだと思うからです。
依頼人は報告書の懐かしい恋人の写真を見たとたんに涙を流しました。
妻を亡くし、自身の入院前に依頼をして、人生の最後の心残りを託された依頼で、報告は入院中の待合室でした。
そこは誰もいない静かな廊下で、私は報告する場所としていいのだろうかと思いながらも、時間の猶予がなく、12月、暮も押し迫った時でした。
こんな所まで来て頂いて申し訳ないと言いながら、大粒の涙をネルのパジャマの袖口で何度もぬぐう姿を見て、この場所の静寂さと、一歩出た街並みの喧騒と賑やかしさ。
ここでようやく私は何故急いでいたのか、抜き差しならない依頼人の現状に気づきました。
仕事といえども忘れられない人達はいます。
名前は忘れ去ってしまっても、走馬灯のように流れる調査事案の中にいる、探される対象者であり、依頼人なのかもしれません。
その病院を見上げながら、たとえ15年経っても、東の角の部屋の窓から、依頼人がいつまでも手を振ってくれたことが昨日のことのように思い出します。
会いたい人がいる方へ。
お力になります。
ご相談下さい。