調査の神様
2014年12月03日 カテゴリー:調査記
喫茶店でサラダを残す夫に妻は残さず食べるまでじっと眺めていた。
妻はダメよ・・残したら・・とほほ笑みながら。
その老夫婦はいつもそこでモーニングタイムを過ごす。
夫は新聞、妻は雑誌を読みながら。
モーニングを食べ終わると、互いの通いの病院へ一緒に向かうようで、昼は何を食べに行こうかといつも楽しげに話し、夫婦だけの時間をうまく過ごしているようだった。
職業柄、苦しい夫婦の姿ばかり見ていると、全ての夫婦がそうであるような錯覚をする時がある。
どんな夫婦も修羅場を超え、時が経てば、かけがえのない人だと気づき、やはり人生のパートナーは夫婦でしかありえないのだと感じる。
たまに、何か小さな言い合いをしていることもあるが長年の人生の中で赦しあった仲はいつもの時間が来ると「さあ、お父さん いこか!」と妻が元気よく席を立つ。
妻はあれこれと語り続けるが、夫は何度かうなずく程度。夫婦ならではの絶妙な味があって、妻の時に力強い会話のセンスとちゃめっけで気難しい夫を納得させてきたのだろうと。
調査業に携わるまでは、他人の夫婦の形や問題に興味がなかったが、職業病なのかもしれないが、こうして夫婦の姿をついついながめてしまう。
入店して夫婦が着席していると何か心が落ち着くのはどうしてだろう。
老夫婦の姿は感情をうまくコントロールした落ち着きがあって穏やかな時間がそこにある。
調査の神様もそこに一緒にいるようで、喧嘩ばかりはおよしなさい。
せっかくこうして永遠に一緒にいるのなら。
美味しいものを食べて、一緒に歩いてごらんなさいと。
妻はこんなおもしろいお店を見つけた一緒に行こうと誘い、夫はいつもアイコンタクトばかりでうなずくだけだが、内心はノッている感じがするのは夫が笑顔でいたからだ。
あれこれ勝手に妄想するのはいけないことかもしれないが、10年近くも眺めていると、どうかいつまでもお元気でいて下さいと願ってしまう。
調査はけして誰かを追い詰めるものではない。
その不信で日常生活が出来なくなるため、一度真実を追求する必要性にかられてするもの。そして、未来の時間を共に過ごせる人なのかと知る為のものかもしれない。
テレビの番組で、面白おかしく探偵に浮気調査を依頼したことを笑っていた人がいた。
私は少なくとも一度もそんな依頼人の方と出会ったことがない。
この老夫婦のように、明日どうする?昼は何食べよっか?
そんな風に楽しく言える夫婦もたくさんいるはずだが、離婚の数を思えば失った人もはるかに多いともいえる。
この職業を選んでいなければ、あえて何も感じないありふれた日常の風景だったかもしれない。
時々、未熟な私を戒めるために調査の神様がそこかしこにいるように思える事がある。
それはまるで自分の職業の意味を教えられているようで、毎朝、老夫婦を眺めている。