家族地図
2014年8月18日 カテゴリー:雑記
母が若い頃住んでいた所を一度訪ねてみたい言ったことがきっかけである。
約50年以上前の独身時代のアパート、結婚し父と暮らし始めたハイツ。
人生には様々な住まいを経て今があるだろう。私が生まれる以前の家族地図を確認する旅。母の記憶のつてに同行二人となって、そこに向かった。
50年以上のアパートは既に取り壊され、そこには大きな高層マンションがそびえ立っていた。見上げる高さに圧倒されながら残念に思ったが諦めない母。
酒屋、時計屋、新聞屋、古くからそこで商売をしている匂いを嗅ぎ取り、古い家々に聞き込み調査を行い、大家の家族を探し当てる。
笑顔の可愛らしい小太りの老女が過去の思い出を懐かしみ、そっと戸を叩けば誰もノーとは言えまい。
高層マンションの前で写真を撮り、大家の家族と話し込み、猛暑の中、母はコーラを飲みながら次へと向かった時は日が暮れていた。
次なるハイツは住所から間違いなく、ここを指し示すが母が違うと言うのは全体を増築して、改装していたからだった。
鉄の階段を上がって、見回すと、昔は見渡すかぎりの田んぼだったのに、全てが建物に覆われていた。だが思わずノスタルジックな気分になり、その部屋の扉を思わずノックをしたくなる。
私は6歳、ここから幼稚園に通っていたのだが全く思い出せない。
このハイツの先にコンビニがあり、ここで母は二本目のコーラを飲み干す。
目的達成、駅に戻ろうとした時である。
轟音鳴らす飛行機が低空飛行でやってきた。先ほどから飛行機の姿はあったが、このコンビニの前は広大な公園で視界が広く、飛行機が車輪を降ろす姿も見える。
そして、この轟音が徐々に記憶の回路を呼び覚まし、この風景をハイツの窓から見ていたことを思い出した。
母は浴衣を着て、窓辺に置いた朝顔に水をやり、父はステテコ一枚でうちわを扇ぎながらビールを飲んでいて、万博の券が茶タンスの上に置かれていて私は眠れないほどワクワクしていたことを。
ほぼ5分置きにやって来る飛行機を私達は、ここで1時間近く眺めながら過ごした。
終の住処に至るまで、どれだけ懸命に働いたのだろうと、離れることなく家族でいることは私には叶えられなかったが、夫婦でいること、子供を育てることを全うした両親の始まりの人生を噛みしめた。
夕刻、時々ひとりでこの場所に飛行機を見に行く。
一度、母にこの場所に来ているよとメールをした事がある。
「今、フードファイター見てるから忙しいねん。
帰りにアイス買ってきて、井村屋のあずきとガリガリ君」。
何故そこにいるのかも聞かず、フードと格闘する番組見ながら、ほぼ毎日2本アイスを食べているので、ならばいっそ箱買いしたいが冷凍室は満杯である。
元気でよろしい。
探偵のように動き回り、納得のいく答えを自ら得て、無事この過去の自分探しを終えた母は過去を振り切って、いつも前しか見ていない。
一方、私はこの場所が大のお気に入りになった。夏は特に夕暮れの織りなす色と飛行機との重なりが美しい。
ただ、眺めるだけだが最も贅沢な時間の過ごし方のように思え、そこにいると説明のつかない何かを感じる場所になっている。