堀川児童遊園
2014年8月04日 カテゴリー:雑記
事務所の向かいには「堀川児童遊園」という小さな公園がある。
ひさしのない公園だが、ここは近隣の子供達、サラリーマン達、様々な人達の貴重な憩いの場になっている。
ランチを過ぎるとコンビニの珈琲を片手にここで一服する人達も多くいて、深夜になると、若者が演劇、漫才、ダンスの練習をしている。
昼間は保育所の子供達が手押し車に乗せられて、ここで遊んでいる姿は、都会の真ん中でありながら、近所にはこんなにも小さな子供達がいたのかと驚くことがある。
そして、ここはノラ猫達のねぐらでもある。
鳩が群れ遊ぶ姿と一緒に木の下で猫達は静かにいつもそこにいた。
だが、いつからか猫達の姿を見かけなくなり、ある人から聞くに、猫の尻尾を鋭利な刃物で切断する者がいるらしい。
警戒心が強いノラ猫達に近づくには何度も餌を与え、安心感を得てから、そのような行為をするのであろうか。
切れた尻尾の大小がベンチに置かれていても、それが新聞に載り、犯人を捜すべく事件になることはないだろう。
人間が腕を失う以上の苦しみと痛みと恐怖を持ちながら、命を失った猫達もいたのかもしれない。実は猫への猟奇的な虐待事件は尻尾だけでなく、瀕死の状態で発見され日本全国で起きている。
世間で起きている、おぞましい事件が別世界のようで、自分のまわりの世界は安全でいい人ばかりだと錯覚しまいがちだった。
その話を知り、ただ気がつかないだけであって、声なき者から、徐々にその刃を人間へ向かわせる大きな事件へと発展していくことは、これまでの事件で立証されている。
ノラ猫の存在は一部の人は許せても、それを快く思わない人もいるだろう。
マナーのない餌やりや、糞尿をまき散らすことで被害にあわれる人も多い。
だが何かを察して自然に生きる者達がそこへ、一切立ち入らなくなった時に、本当の恐怖が人間に振り下ろされるかもしれない。
今、ようやくかつての猫達が姿を見せるようになった。
尻尾のある者、ない者。
人間と違い、どんな行いをしても寄り添えば赦してくれるのだろうか。
呼ぶと無くなった尻尾を震わせる行為をしながら近づいてきた。
穢れのない瞳が、愚かで残酷で感情だけに支配される世の中になって行くことを必死で伝えようとしてしているが、苦しい怒りを持った涙が流れ続けるだけで何も出来ないでいる。