川柳2
2014年7月07日 カテゴリー:雑記
「何故だろう 俺のタオルは名前入り」
「出張を 見送る妻の 目が笑う」
「コンビニを 手作り風に 盛る名人」
相手が常に接近戦で存在することは、日を追うごとに疑問を強く覚えます。
しかし、この起きる現象を常に経験することで、いずれそれが当たり前のこととして
受けいられるようになっていきます。
「素顔だと 犬が吠えると 妻が言う」
「体重計 買った妻だけ 計らない」
「妻ついに 15号ある 店見つけ」
共に人生を歩み続けることは、驚きの連続です。
しかし、それは何よりも重要な共に生きるためのスパイス。
香ばしい、むせかえるほどのまでの耐えられない匂いは誰にも見せられない。
夫婦という仲にだけ見せられる秘密の世界なのです。
「味噌汁を 飲んで夫が うなずいた」
「俺よりも 俺に詳しい 妻がいる」
「予知不能 妻の怒りと 時期と規模」
互いにどこまで理解しあっているのか。
実は死ぬまで理解し合えないのです。
だからこそ、どこまでも果てしなく探究するものなのかもしれません。
「定年後 何故にそんなに はよ起きる」
「腹減った 嫁に言うたら 気のせいや」
関西人特有のユーモアに満ちた言葉は漫才という世界だけでなく、日常が漫才なのです。
ぼけ、つっこみがうまくかみ合っている夫婦は人生で最高の相方となるでしょう。
関西でない方が、おまえはアホかと言われて傷ついてはなりません。
日常のアップテンポの会話であって、可愛い奴という表現でもあるのですから。
この川柳が織りなす世界を注目することで、今、人は何を思い、何が問われているのか。
誰もが共感出来るこの川柳の背景にある夫婦のストーリー。
人間はどんな困難にぶちあたっても、相手の行いに対してユーモアさえ失わなければ、
きっと乗り越えていけるだろう。
そして、最後に私が最も共感した川柳をお伝えしたい。
「痩せていた 証拠のスカート 捨てられず」
その横幅、丈の短さ、派手さ。
何故捨てぬと問われたら、いずれ何かの確証として残しておきたいものです。
何のための確証と問われても、それは自分自身への問題提議。
同じフィーリングを持った方がいたことに強いシンパシーを感じ、実に女性らしい、
どうもならんことに情熱を持った名文である。
(第一生命、いい夫婦の日、なんばグランド花月おもしろ夫婦川柳より、抜粋)