ごちそうさまが、ききたくて
2014年4月16日 カテゴリー:雑記
毎日料理を作らなくなって、或いはキッチンに立たなくなって15年以上になるだろうか。
妻にとってキッチンとは一番長い時間を過ごす場所である。
小さなフック一つ、棚に置かれた物は一番使いやすい配置となっていて、365日そこで料理を作り続ける小さな世界がそこにある。
結婚していた当時、料理本のバイブルとして栗原はるみの本を集めていた。中でも好きだったのは「ごちそうさまがききたくて」の本で、そのタイトルに一番惹かれたと言ってもいいかもしれない。
時々、趣味で食べたいものを作ることは楽しい息抜きの時間でもあるが、毎日料理をマシーンのように作り続けることは、今にして思えば並大抵のことではないと痛感する。
雨の日も風の日も台風の日も帰ってきて必ずテーブルの上に母の作ってくれた食事があることを、離婚して初めて本当に感謝しなければならないと知った。
時々、無性に料理が作りたくなってしまうことがあるが、スパイスの位置や調味料も全てが自分が選んだ品ではないので、かつての流れるような動きで作っていた主婦の頃の味とは違う。
そこに立って何かが違うその空気感は、きっと夫が妻の不在時に料理を作る時に、どこに何があるかわからない感覚に似ているかもしれない。
離婚して実家に戻るには、一番処分しなければならないのは台所用品であり、新婚時代からの鍋やフライパン、食器、料理を作り上げるための道具は山のようにあった。
妻でいた証の全てを潔く処分することは、簡単ではなく、小さくも作り上げた世界が消え去るその時間と向かい合うことは辛く苦しいものだった。
久しぶりに忘れかけた料理を作ろうと思った時、その一品のページに、シミや折り目が付けられていることに気がついた。
離婚で多くのモノを潔く処分しても、この本が残されているのは、料理だけでない自分の人生の一部が残されているかのように思えたからだろうか。
キッチンは最も重要な家族のエンジンの源を作り上げる世界です。
そこから音や湯気や匂いがあふれることは家族の心を落ち着かせてくれるものです。
日々、夫のために家族のために奮闘されている方々、いつも本当にお疲れ様です。
この本の内容とタイトルのシンプルなまでの問いかけは、家族を思う気持ちが溢れているのだと今更ながら思い、ネット上で簡単にわかるレシピがあっても、捨てられない一冊になっている。