ラッキーディ
2014年4月10日 カテゴリー:雑記
コーヒーを飲む時、マナー違反だがカップの底を持つ癖がある。
信じられないことに取っ手が外れたことがあり、私は取っ手に関しては100%信用していないからである。
その予期せぬ事態は飲み干す寸前だったので難を逃れたが、テーブルに置いていたお気に入りの仙頭のハンカチが染みになった。
友人のシリアスな相談を聞き、重い空気に包まれていたのだが、そのギャグにしか思えない予測不可能な失態を友人は涙を流し笑い、その場にいた目撃者である客も巻き込んで笑いの渦になった。
私はその日、寄り道をしたくなり森を走り抜けた。
木々が光を浴びている美しさに誘い込まれ、自由に群生しているが木々が上手く交差しながらアーチのように花を満開に咲かせ、この鳥のさえずりはウグイスかと。
うっとりしてアーチの花を見上げたその一瞬である。
鳥の糞が目に入る。
この広い大地、誰も歩いていない秘密の花園でピンポイントで狙われたことに鳥の素晴らしい集中力に驚き、今日は何やら気をつけねばなるまいと気を高めていた。
帰り道、大きな体を揺らしながら大声で歌う、おかしな男性を発見する。
深夜、その狭い一本道は避けようにも酔っているのか、ふざけているのか。
頭を光らせながら一直線でやって来る。
私は止まっていたにも関わらず、突進される。
大きく「lucky」と書かれたキャップをかぶっていた男性はご近所の犬友のおじいちゃんだった。
立ち話でこれまでの人生の紆余曲折、困難に満ちた半生を1時間以上聞かされた。
そのお話は100回以上お聞きしましたよと言いたいが、高台から見下ろす川向こうの夜景と家々の灯りは、今宵も散りばめられた星のような美しさである。
おじいちゃんは阪神大震災の被災者で、その灯りの意味を知る私たちは、美しさにみとれるだけでなく、そこでしばし、沈黙した。
私はこの一日に感謝した。
一日に何度も笑ったこと、様々な人生を送った人達との出会い、その自然がもたらすミラクルと心を揺さぶるビューティフルな時間。
仙頭のハンカチはコーヒー染めにしたらアンティークレースのようになって味が出た。人が作ったモノも完璧ではないと教えてくれる実に充実した一日であった。
後日、おじいちゃんから色違いのピンクのラッキーキャップを頂戴した。
じっくり見ると、ラッキーのスペルが間違っている。
深夜の夜道は危なかろう。
文字に全体的に蛍光塗料がついているので暗闇になると怪しげに光る。
万事何事も抜かりなくしたい私好みの一品であろう。
おじいちゃんありがとう。
大切に使わせていただきます。