仕事
2014年1月14日 カテゴリー:雑記
死は全てにやってくる。
予期せぬ事故は心の準備すらなくやってくる。
わかっていても命の限りを告げられたことがないので、もし、そのような事態になった時に果たして、自分はどのように受け止めるのだろうか。
私の父は長年の病から、ホスピスでの最後を選びそこで過ごした。介護タクシーが自宅に迎えに来た時、わずかな手荷物を抱え、これが最後であろうと目に焼きつけるかのように天井、柱、部屋の全てをじっと眺めながら長い間じっとたたずんでいた。
私はその頃、仕事が多忙を極めており、毎日電車とバスを乗り継いで、そこへ滑り込むように向かうのだが、バスの中で突然に止めどなく涙が流れる。
離婚直後、転職した調査業はまだ慣れない環境で、緊張を要する仕事はどこで息がつけばいいのかわからず、疲労困憊だった。最後は父と時間を作りたい、もう明日でこの仕事は辞めようと何度も思った。
真っ暗な部屋、ランプの灯りの元、父の寝顔を見ていると抱える依頼人からの電話、メール、調査中の連絡も入って来る。
それはどれも切羽つまった話しかなく、起こさぬようにささやくように話をしていると、父は優しく小さな声で。
仕事大変やね。
と言った。
人生はどれだけ頑張っても、どこまでも果てしなく辛いものだと思った。
親を看取るという経験は、命には限りがあるということや、親孝行が果たしてどこまで出来たのかと葛藤の時間を過ごす。
そして、仕事がどれだけ上手くいっても、その環境の中では、無能なのだと思え、仕事と家庭とどちらを優先させるのが良いのかと真剣に仕事とは何であるのかと向き合う時間でもある。
だがそれは誰もが経験することで、時が経って全てが落ち着くと、穏やかな日常が始まり、これまでの苦労が嘘のように、また生きることに貪欲になっていく。
仕事大変やねと言ってくれた言葉は私の無念と力不足を突き付ける言葉でもあったが、心に染みいる優しい言葉に思われた。
他の誰よりも言ってほしかった言葉でもあり、きっと父は誰よりも私の仕事の最大の理解者でもあったと気づかされる。
ご依頼人の方でも、難事が起きている時は親の介護の問題とも向き合っている時で、落ち着いた時間のない中で生活を仕事を、その難事をこなさなければならない苦悩を聞かされます。
向き合える時間は選ばれた者として、受けとめて、いつの日にか必ず今の葛藤を超える時がやって来ることをどうか信じて下さい。
先日、仕事で訪れた場所が入所したホスピスの近くであると気づき、風景を見まわし、年月の流れを懐かしみ、そこにたたずんでいました。
何もかもが苦しかったあの頃を思い出すも、今は亡き父に伝えたい。
私は今もこの仕事を続けています。
仕事は大きな糧となって、自分が生きるため、関わる人のため。
悲しい涙は流れなくなり、いつも家族で笑顔で生きています。
そう伝えたい。