愛人 だらだら坂
2013年11月27日 カテゴリー:雑記
「だらだら坂」という向田邦子の短編集がある。
遊び人でもない普通の男が何故、突然、愛人を持ってしまうのか。
複雑なその心理描写を現わしている作品ではないかと思う。
男は中小企業の社長だが小心者で、大胆な遊びにも興じれず、小さな不満を持ちながらも真面目に生きる普通の男だった。
だが、ある時、魔がさして会社に面接にやってきた年若い女に興味を持って愛人にしてしまう。その女は全てが冴えない田舎から出てきたばかりの女である。
自我を押し殺し、自己主張もしない女に気持ちが安らいで、普段自宅でも気の休まらない男はステテコ一枚で寝転がれることが平気で出来るこの女を愛人にすることで心が癒されていくのだった。
そんなある日、女が隣人のバーのママに触発され、目を二重にしてしまう。
これまでの地味な冴えない女ではなく、整形をしてから徐々に全てが派手になり、男に意見までするようになって、上手くいっていたはずの日々が一変していくのだった。
「だらだら坂」とは女のアパートへ向かう時の坂の名前である。
坂の手前からメーターが上がるので男の小さな経済観念から、いつも手前で降りて、その長い坂を上がる。
その坂は男にとって結界の入り口であり、そこに立つことは家庭も仕事も忘れ、何か高揚しながら歩く坂だったが女が変化してから、男はこの坂を越えて女に会いに行くことに疲れと虚しさを覚えるのだった。
男は1本の糸のような目、締まりのない身体、自信のない姿こそ、自分が何とかしてやらねばならないと愛おしく思っていた全てだったのだ。
女はどんどん美しくなっていく。
だが、この美しさは男にとっては何の魅力のないことや、男だけにしかわからない悲哀と、その身勝手な男心。
始まりがそうであったように男はただ逃げ場所を探していただけで、女はそんな男を初めから全て見抜いていたのかもしれない。それがそんな男と関わることが出来る女の本性であるからだ。
向田邦子の作品のそのほとんどは結末の苦さで、現実を現わす。浮気の全てがそうではないにしても、ことの始まりは誰にでもあって、幸福と不幸は同じ所の中からも存在するのだと伝えている。
「だらだら坂」は男だけでなく女にもあるだろう。
女は全てにおいて決着が早いので坂を一気に上って一気に駆け下りる。残された男は、なぜ、どうして、何が気にいらなかったのだと混乱するようだがすでに次の坂を上り始めている。
そして、どれだけ叫んだとしても、女はけして後ろを振り向かない。
向田邦子自身が叶わぬ恋をしていたせいか、どの作品にも普通の暮らしの中から生まれる女の毒がちりばめられていて、何度読んでも奥深いのだった。