わたしのウチには、なんにもない
2013年10月08日 カテゴリー:未分類
先ず捨てろ。
話はそれからだ。
世の中にモノを持たない系の本が増え、いつの日か自分が選んだモノとの対峙は、これまでの人生を振り返るかのようです。
その道の王道である、やましたひでこさん。
ときめきの近藤真理恵さん。佐藤可士和の超整理術など。
私が読んで一番フィットしたのは大原照子さんでしょうか。
だが、モノのなかった時代に生まれた母と家族と住む私には、この英国仕込みの素敵な暮らしを実践することは不可能に近い。
「なんにもないぶろぐ」
このブログを見つけ衝撃を受ける。
「先ず捨てろ」と激しいタイトル。
夫、母、祖母、猫達との暮らしの中で徐々にマジックのようにモノが消えていきます。
ついぞトイレブラシも処分。きっと子供がいてもこのような暮らしが出来る方だと思います。
だが、その容赦ないシンプルイズベストは、同居する家族と問題は起きないのだろうか。私の母はモロゾフのプリンの容器を捨てることを悲しむので、そのような暮らしをすすめることは出来ないだろう。
夫も然り、いつでもゴロンと出来る部屋が大好きなはずである。趣味の品々や、出しっぱなしの多い男性の対処の仕方が知りたい。リビングのこたつが消えた時は夫婦関係を心配した。
仙台在住、震災の被害に遭われた方であると知る。
それまでは物置系の汚部屋に住んでいたので、家の中をきれいにすることは命を守ることとして、この経験を教訓に整理整頓を実践するようになったそうです。
100のモノにこだわるより、10のモノにこだわる。
モノを厳選して、全てのアイテムを減らす。
家の中ではハサミは一つ、こだわり尽くした職人ハサミである。
絶対に失くさないし、一生大事に使う。
江戸時代の暮らしを彷彿させる究極のライフスタイルのようだ。
モノを選びとるセンスも重要で、なにもない部屋のようであっても実は隠されたかのようにキチンとモノが出番を待っている。
食器・カトラリー・生活雑貨。
全てが、おしゃれ感を超えたストイックなまでの一品で構成されている。
凛とした空気の中ではモノが美しさを際立たせていることに驚く。
ハサミなどその辺に突っ込んでいることとは全く違うのである。
生き方が違うので、真似をすることは出来ないが、大いに感化され、これはどうやら捨て変(すてへん)モノを捨てたいという病らしい。
50年も生きていると長年のメモリーや蓄積された脂肪が心の中にまで侵食されているような気がしてならないが、この憧れのシンプルを追及することは険しい道のりである。
モデルルームのような塵一つない部屋も素敵だが、古い茶ダンスがあってこたつの中には誰が脱いだかわからない靴下がある・・そんな風景も大好きだ。人がそこにいる、生きているという空気を感じられるからである。
ブログの主はゆるりまいさん。
漫画家でもあり、ここまでに至るまでの経緯のコミック「わたしのウチには、なんもない」を書かれている。年齢はわからないが若い人のように思う。その若さで実行出来ていることに頭の中を知りたくなる。
なんもないはずはなかろうと。
家の中はその人の全てを映し出す鏡のようだと思うから。
そして、これ以上、一体何を捨てるのだろうと心配になりながらも、その潔さに楽しくブロクを読ませて頂いている。