所在 昔の彼女
2013年10月03日 カテゴリー:調査記
「隣の女」 原題 La Femme d’à côté
監督 F・トリフォー。1981年作 フランス映画
主演 ジュラールド・ドパルデュー ファニーアルダン
恋愛することが怖くなる映画である。
ラストシーンのセリフは。
「一緒では苦しすぎるがひとりでは生きていけない」
かつての恋人同士が時を超えて再会する。その出会いは隣の家であり、その越してきた一家の夫はかつて自分が愛した男性だったのである。
フランス映画らしく、匂い立つまでのエロスと男女の情愛。
このようなドラマティックなことは映画やドラマでしかありえないと思われるかもしれない。
依頼人は自分の住む町で、かつての恋人の姿を見つけたという。それは一瞬で声をかけることなど出来ず、振り返ると信号が変わり、たちまちその姿を見失い、誰かと話すその笑顔は昔と全く変わっていなかったという。
人間の記憶というのは複雑なもので別れる結末がどれほど憎しみあっていたとしても、時がたてば薄れ、懐かしむ時間がいつか必ずやって来る。
すっかり忘れた頃に、突然に現れた昔の彼女。
それから、彼女がまた現れるのではないかと気になりだして、ずっと駅で待ち続けた日もあったというが、それを最後に一度も出会うことはなかったという。
彼女を見かけた日は、偶然この街に用事があっただけだったのかもしれない。自分の町のどこかに彼女が暮らしていると知れば、今彼女がどんな風に暮らしているのかが知りたくなったという。
彼女が普通に結婚し生活していることを知れば、この葛藤する気持ちに終わるが来るだろうと思えるからだという。
この映画の中では、かつての恋人が隣人となったことで、日々避けられない状況になって、お互いに感情をコントロールすることが出来なくなり、狂気に満ちた悲しいラストを迎え終わります。
ただ、私が見せられる情愛は、静かにいつもひっそりとあります。
依頼人は消えかかったロウソクを持ちながらやって来ます。
私は信頼を受け、それを吹き消して、新しいロウソクを準備する。
そして、現実は映画と違う種類の違う、涙を流すことがあります。
依頼人の方のその後の心の決着を知ると、それがどれだけ苦しかった恋愛でも人生において、かけがえのない素晴らしいものであったのだと知ります。
そして、それに気がつくには熟成されたワインのように時間がかかることもです。