すいか
2013年8月27日 カテゴリー:雑記
母方の祖母の家では毎年夏になると、立派な大玉のスイカが庭で冷やされていた。
12歳の私は、誰もいない台所で勝手に全てを食べ尽くした。
どれほどの時間をかけて食べたのだろうか、全く覚えていない。
本当に全てそれを一人で食べたのかと聞かれたら、信じられないことに。
恐ろしい事実でありYESである。
先日、帰宅中、ある場所で大玉スイカを発見する。
スイカは淋しげに迷い子のようにそこにいた。
一体どうしてと、そばに行って全体を確認すべく触れじっくりと眺めてみる。
それは抱え上げるも根性のいる重さで、色、形、何ら問題のないスイカ・グランプリで絶対優勝出来る、あの夏の日に食べたことを思い出させる立派な大玉であった。
自然の恩恵を受け、日夜苦労を重ねた上で、このように立派に育てられたというのに、
哀しくも都会の街の片隅で淋しげに鎮座しているのである。
この姿の見えない何者かに突如投げかけられたかのようなスイカ・ミステリー。
捨てた方はスイカアレルギーだったのだろうか。
或いは頂戴したが長期の外出、その直後、スイカを食べる余裕などない突発的な何かが起きたのか知れない。
だが、自分が食べることが出来ないのであれば、どなたかに差し上げることが出来なかったのだろうかと。
この捨てられたスイカ大玉問題については、日本における核家族化、都会の独居生活の方が増えて、食のスタイルや近隣の方との交流等が全くないことがリアルにうかがえる。
卑しい根性を持った12歳の私は天罰を受け、その日一日、寝ござの上で腹痛に苦しんだ。祖母は勝手に食べたことを叱り、その旺盛な食欲を豪快に笑いながら、残された皮で絶品の漬物を作ってくれた。
当時、祖母の自宅の周りはスイカ畑だった。
畑の中には肥溜めがあちこちにあって、落ちないように気をつけながら遊び、老夫婦が汗水を流しながら必死で働く姿の隣で、スイカ畑を駆け回り夏休みを過ごしていた。
その大きさから、食物の強いエネルギーを感じ、立ち去ることが忍びないのだが、現代社会では捨てられているものを食すことは出来ない。
けして食べたかったのではない。
捨てた方のやんごとなき事情を知りたいのである。
そして、願う。
遭遇したスイカは夏の異常な暑さが見せた幻だったのかもしれないと。