女神の天秤
2013年5月07日 カテゴリー:雑記
困った人を見ると何かしてあげたい気持ちになるのか、自宅に招き入れ、食事をさせ、行くあてがないのなら気のすむまでここにいたらいいと、何も聞かず老女は信頼して自宅の鍵まで渡してしまう。
何かあったらどうするのと、どれだけ忠告しても耳を貸さなかった。
だが、周りが心配することもなく、その名前や素性すらわからない客人は数日でどこかに消え、しばらくたって忘れた頃に必ず礼を伝えに来たという。
15年ほど前に「女神の天秤」というテレビ番組があった。
実際に事件を犯してしまった人が何故、そうなってしまったのか、その生い立ち、事件への詳細な経緯、入念な取材を元に深く推察していく番組であった。
だが、被害者家族からすると、そのストーリーは声無き被害者への冒涜でもあり、裁判中のケースや生存者もいる中でプライバシーの問題を多くはらんでいるため、もう二度とこの様な番組はつくられることはないだろう。
自分を信頼してくれる人が回りにいないこと。誰からも愛されないこと。
人は誰かを生涯愛し続けることで、心の天秤を保ち、そこに確かな愛がなければ、それがたとえ小さな失敗でも簡単に狂い始めるのだと、この番組を見て知りました。
老女は私の祖母であるが、どうしてそこまで優しくなれたのか、一体どこで知り会ったのか。どんな話しをしたのか一度じっくりと聞いて見たかった。
幼い頃に亡くなり、そのお葬式に身も知らぬ方が多く参列して、あの頃はお世話になった。
助けていただかなければ自分はどうなっていたかわからないと、大人になってから聞かされました。
人の心の中に立ち入ることの難しさ、それはどれだけしても報われないこともあります。
その優しさが裏切られたことはなかったのだろうか。
きっと、どれほどの絶望の中にいたとしても、誰かに優しくされ信頼されると、ためらいながらも寄り添って、いつの日かその受けた優しさには必ず感謝を伝えてくれるのだと思うと、心が熱くなります。
亡き祖母の声を思い出せなくなってしまっても、はにかむような笑顔の姿。
残された写真は少ないが、私の心の中に消えることなく、輝いています。