石巻へ
2013年4月24日 カテゴリー:雑記
かつてそこには賑わう町の風景があったはずである。
人が住み、商店が並び、子供達が走り、潮風に吹かれた洗濯物が家々にはためいていたのだろう。
その時刻、あと少しで仕事が終わる。
夕食の準備、子供の帰りを待つ人、仕事の渦中の人は、その昼下がりは、いつもと変わらぬ日常であったはずです。
何かが起きれば人間は、先ず家族のことが脳裏によぎることは当然であって、自宅へ、子供の元へと家族の確認をするために、ただそこへ真っ先に向かうことは本能で、今何かが起きれば私も家族の元へと向かうに違いない。
津波になぎ倒された方向の木々の先には、家の土台しか残されていない。
かと思うと、さっきまでそこに普通に暮らしていたかのように家が残されたままである。
積み上げられた車は直視することは出来なかった。
写真など一枚も撮らなかったが私の心の中には全ての風景は残されている。
どれだけこの震災の地をインターネットで検索し、動画をひろっても、そこにいることとは全く違うものだと愕然とする。
この石巻の風景は私は忘れないだろう。
忘れてはならないだろう。
その場所にまた新しい家を建てて住む方達もたくさんいる。止むを得ず転居をされた方も、生まれ育った地のことは忘れようもなく、いつかまた必ずそこに戻って来る方もいるだろう。
全てが自然と共存する暮らしをしている以上、必要以上に恐れすぎてもいけないと、未だ鳴りやまぬ地震が身体を震わせるが、神経質に敏感になっている自分をいつも諭す。
秋保、松島、白石川の千本桜、美しい自然の風景は何も変わることなく、そこかしこに満開の桜を咲かせ、眺める海も変わりなく美しい。その観光地には県外のナンバーの車も多くあったが、圧倒的に宮城県ナンバーで家族連れの人達を見ると、心が揺さぶられる思いになる。
親友の夫の方は2か月ぶりの休暇だったと言うのに、私の来訪のために、休暇を返上し、滞在中、宮城県内を案内してくれた。ここに連れて来てくれた親友夫妻に心から感謝をしたい。
この震災で被害に遭われた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
東北の復興を心から願いながら、ここへは何度も訪れるつもりでいます。