素行 子供の写真撮影
2013年2月08日 カテゴリー:調査記
ある人の写真を撮ってほしいのです。
ただそれだけで結構です。
もちろん名前も、住んでいる住所もわかります。
昔の写真ならたくさんあります。ただその姿は子供なので…今はどんな風に成長しているか、随分変わっていると思います。
初めての相談電話での中では、何をどこから話していいものやら、ほとんどの方は緊張と不安の中から単刀直入に話される方が多いかもしれません。
調査対象者が相談者にとって、どんな関係の方であるのか初めはわかりませんが、5分もお話をお聞きすると、そのお話は深い、苦しい時間の流れを彷徨ってきたことを瞬時に感じられ、どういった関係者であるのかすぐに理解出来ます。
子供は父母共、どんなことがあろうとも離しがたい絶対的な存在です。
もう明日から子供の姿が自分の視界から一切消えてしまうこと。
これからは毎日一緒に寝食をともに出来なくなること。
ずっと暗雲は垂れこめていたにもかかわらず、多くのケースは直前まで一緒に普通に暮らし続け、ある日、突然妻は子供を連れて出て行き、夫が家に帰ると妻子の姿ありません。
子供のおもちゃ、食器、洋服、子供の生活の全ての品々が、一部置き去りにされることも多く、残された家族はそれらを捨て去ることも出来ず、その匂いの中で、まるで時が止まってしまったかのような暮らしを強いられます。
あらゆる手立てを行い、努力をしても人生の中では、それが思うようにいかないことがあります。そして日常は流れるように、あっという間に過ぎ去ります。
その月日もけして淡々と流れていたわけではなく、いつも絶えず心の中に子供の姿があって、誕生日に、クリスマスに、七五三に、周りに行き交う子供達の姿に自分の子供を身を重ねて思い出し、人知れず涙を流します。
面会権など法律で定められた権利があっても、こじれた夫婦関係の離婚は時として面会すら出来ない困難な場合もあり、子供の一番大切な成長を確認出来ないこともあります。
なぜこうなってしまったのかは、依頼人が一番深く突き詰めていることなので、それを今更、議論することはありません。
どうにもならないことであるからこそ、調査会社にご相談されるのだと充分理解させていただいています。
調査当日は激しい雨が降っていました。
子供が傘を差したら、顔がはっきり映らないので別の日をと思案していたら。
雨は止み、虹が出て、坂道を元気な足取りで歩く姿。
或いは、10年たっていたとしても、その面影は依頼人とそっくりであり、無邪気に
満面の笑顔で友人と語らう姿。
また数十年たっていたとしても、その姿は当時と大きく変わっているかもしれませんが、その仕草や表情。あの最後に会った時と何ら変わりはありません。
自分の愛する子供の姿の写真は、最後に別れた時がいくつであったとしても、それをお渡した瞬間に大粒の涙を流され、相談員の私も一緒に泣いてしまいます。
想像でない成長の姿を密かに知ることの決意は人それぞれの時間が必要です。
過去の呪縛から、その逃れられない苦しみからようやく解き放たれ、このお写真での静かな再会は、依頼人にとって、これからの何かの大きなきっかけになるのだと思い、最高の笑顔がどうか撮れますようにと、そう願いながら、お受けさせていただいています。