ヘンリー・ダーガーの孤独
2012年12月06日 カテゴリー:雑記
1972年、身寄りのない老人が亡くなった。
その老人のアパートの大家であり、アーティストでもあった彼は、老人の部屋に残された大量の作品を見て驚愕する。それは老人が生涯をかけて生み出したと思われるタイプライターで打たれた15000ページに及ぶ戦争物語「非現実の王国で」という私的小説とその挿絵、スケッチ300点だった。
老人にはそれが作品という概念はなく、全ての持ち物の焼却処分を大家に頼んでいたという。
小さな部屋は大量のスクラップ、切り絵のような美しくコラージュされた紙、拾い集めた新聞で埋もれていたと言う。
老人の名はヘンリー・ダーガー
1892年シカゴで生まれ、生まれた時から不遇の人生が始まる。両親とは死別し、カトリックの施設で育ち、教会や病院の清掃人として働き、そこで73歳まで働いたという。
残された写真は3枚のみ、教会でも施設でもヘンリーと親しく話した人はいない。その小さなアパートも誰も訪ねる人もなく、何十年も住みながら隣人でさえもヘンリーの正確な名前を知らない。
その作品についても一度も話したことはなく、誰にも発表せず、それを死の半年前まで書き続けたことがわかっている。
生まれてから一度も誰からも愛されたことはなく、大人になってからも施設と教会を往復するだけの人生だったという。
病を持ち、人と上手く関われない人物と思われていたようですが、果たしてそうだったのだろうか。
当時の医療では障害者と判断されたのは誤診であり、実は健常者だったとも言われています。
この施設も何度も脱走し、大人になってからは何度も養子を願い出ているが受け入れらず、その人生に絶望し、もう人と話すことをやめたのかもしれません。
ようやくこの小さなアパートに一人で住み、自宅に帰ってランプの明かりの下、この作品の壮大なストーリーを描きます。
悪魔のように子供を奴隷として虐待する軍事国家から、子供達を救うべく7人の戦士となる子供達が戦うファンタジーの世界です。
タッチは一見メルヘンでありながらも、シュールなまでに残酷な一面を見せ、細部に亘って詳細に緻密に描かれ、アウトサイダーアートなどと呼ばれていますが、一度も人と交わってもいないからこそ、空想と夢想が描きだされ、今までに見たことも無い世界感を感じます。
その最後はこのアパートではなく、救貧院でひっそり亡くなったヘンリー。
初めて部屋に踏み入れ、この残された膨大な作品を知った大家が亡くなっても、その妻が2000年までヘンリーの部屋を保存したという。この夫婦の感性がなければ、この作品も埋もれ、これもただのゴミとして消えていただろう。
20世紀アメリカ美術最大の謎とされ、この特異な世界はアート界に世に知らしめましたが、何も難しく解き明かすのではなく、ヘンリーが味わった孤独、差別、宗教観、求めて止まなかった愛の全てが集大成となって、それは誰にも触れてもらえないからこそ、それを生きる糧として死ぬまで描き続けることが出来たのかもしれない。
名前すら、正確な資料がなく、この名前ではないとも言われています。謎の人物とされますが、ただ彼を知ろうとしなかっただけです。
教会でも、ただの清掃人として扱われ、何も感じない人として、挨拶すらされませんが、祈りを捧げる人達の向こうでヘンリーは、いつも何かを感じながら眺めていたに違いない。
その素晴らしい感性を持ちながら、それをわかってくれる人がいなかったことは、とてつもなく悲しいが、今、映像として永遠に残されて世界中に溢れている。
生前、彼は想像も出来なかっただろう。