思い出の8mmテープ
2012年10月10日 カテゴリー:雑記
子供の頃、家には映写機があり、親戚が集まるお盆などに白い布を壁に張って鑑賞会をしていた。
このような映像は親族以外は何ら感動も得られないもので親戚一同は成長過程の子供達を笑顔で眺めてくれていたのだろう。
その上映会をきょうだいや従妹達とワクワクしながら待つ、電気が消され、映し出される映像、タバコの煙と共に、皆で笑いあったあの頃が本当に懐かしく思う。
その頃に撮影した8mmテープ3本が父の小引き出しから最近発見した。
1本は数年前に既にメーカーでの生産を停止されていてDVDに変換出来ないとも言われたが、東京の個人のお店で変換出来るお店を見つける。
父は単身赴任が長く多忙を極めており、この映されたムービーが唯一家族全員での子供の頃の外出の思い出ではないかと思う。
その映像は40年前の天王寺動物園、奈良ドリームランド、宝塚ファミリーランド、エキスポランド、近所の山でのピクニック、ハイキングでの様子だった。
弟は3歳、妹は5歳。両親は30代だろうか。
父と子供達は手を繋ぎ、無声だがエレクトラルパレードが聞こえてくるような小躍りしたり、おどけたスキップをしているのは信じられないが父である。
弟は当時一番のお気に入りだった首が皿のように広がった、とっくりセーターを着ている姿が多く、常に両手を広げ、撮影する母に飛び込んでやってくる。妹は何がおかしいのか、ずっと舌をベロベロし続け私にまとわりついて離れずタコ踊りをしている。
私はサロペットジーンズと長袖に半袖のニットの重ね着ファッションで決め、やはりソフトクリームや甚平餅等を食べているシーンがやたらと多い。
ピクニックではシートの上で弁当を広げ、父も母も何か今とは別人のような締まった顔つきで全く脂肪のないスタイルである。
父は子供達の最高のスマイルを撮ろうとしたのだろうか、ひょっとこの顔をしたり、子供達を抱きしめて離そうとしないシーンがふんだんに溢れていた。
その多くは母が撮影しているらしい、ブレが多く、いきなり意味のないカットになったり、唐突に終わる。
どうでもいい木々がアップになったりするが、そのほとんどはこだわり続けた子供達の顔のアップが多い。
子供の頃、はまっていた遊びに一人テニスというのがあり、ゴム紐に付いたボールを打つと自分の元にブーメランのように戻るというのがあったが、全体像を捉えず、延々と狂ったかのように打ちまくる私の顔のみアップが続き、懐かしい幼き自分との出会いは今と全く変わらないことに驚きを隠せない。
この変換されたDVDをこっそり事務所で見る前は家族に見せる時に、弊社の代表であるA氏もあのラストシーンに100回以上見て、100回以上泣いたという、「ニュー・シネマ・パラダイス愛のテーマ」。もしくはエルトンジョンの「Your Song」をBGMに流そうかと密かに思っていた。
だが、実際に見ると音楽など流れなくても、その映像を見れば全ての記憶が思い出される。
ピクニックに持っていったシートの柄、抜けるように青い空。
母が早朝から忙しく準備していた姿、そのお弁当のおかず、弟が何故、両手を広げ、妹がずっとベロを出していたか。
そして、私達きょうだいが、どれだけ両親に愛されて育っていたのかと。
その父も長き闘病の末、亡くなったが、母は今もこの頃と変わらない笑顔で太陽のような存在で家にいてくれる。
このテープの中で暴れまくっている、ギャングスターきょうだい3人は、この映像の両親の年齢を超えてしまったが、果たしてこの頃の思い出を覚えてくれているだろうか。
家族という間柄は遠慮なく辛らつに言い合い、日々小さな意見の衝突があったりする。つまらぬことで、もう顔も見たくないと喧嘩をしてしまうのは今もある。
でも、このいつしか忘れかけていたもの、子供の頃の家族との再会は懐かしさだけでなく、やはり、たとえ何度生まれ変わっても、私はやはりこの家族と家族であり続けたいと。
そう、あのニュー・シネマ・パラダイスのラストシーンのように懐かしみ、驚き、私は笑顔でひとり泣いてしまい、家族とは一緒に見ることは出来ない。
いやぁ、家族って本当に素晴らしいものですね。